「まちがい主義」

ebisaka_s.jpg 土曜日に、神戸で地域団体とNPOの協働のあり方について、地域団体・NPO・行政の協働で考える全市的なフォーラムがありました。昨年度から受託している神戸市役所(協働と参画のプラットホーム)からの委託業務の一環で、15名強の円卓会議(地域団体・NPO社協等)をコーディネート/ファシリテートして、毎月一回の議論検討を重ねてきたのですが、ひとつの重要な通過点になる場でした。



 ただ、これで一段落ついたと言って、落ち着いている暇はないほどに、いろいろと溜まっている仕事もあるのですが…、まぁとはいえ、気を休める必要もあるということで、日曜日は事務所兼自宅のお掃除や気になっていたブックレットを読み切ることに時間を使ってみました。



 この日、読んだのは、海老坂武・鶴見俊輔シリーズ鶴見俊輔と考える5 この時代のひとり歩き』(SURE、2008年)。ベ平連の活動にも参加されていた、フランス文学者/評論家・海老坂先生の自伝を読み解きながら、10人程度の小さな集まりで語り合った記録が同書、と解説したのでは、何の面白みもなさそうなものです。



 ですが、僕にとっては、海老坂先生とはほんの少しだけご縁のある方でして、自分が大学3年生の頃、関西学院の広報誌『POPLAR』の座談会でご一緒したことがあるのです。その当時は先生のライフヒストリー/ライフスタイルについては無知であったため、座談会のテーマであった「大学生の読書」についてのみ、意見を交わしたのでした。いやぁ、今になっては実にもったいないことをしたんだと、今回思わされました。「個の確立/社会と個の関わり」ということについてなど、あれこれご意見を伺えば良かったなぁと。



 そんな同書から興味深いやり取りを一つ紹介いたしましょう。またまた鶴見さんの言葉です。海老坂先生との対話の部分ではないのですが…。



 鶴見 これはチャールズ・パースが作った言葉で言うと、ファリブリズム(まちがい主義、間違いを何度も重ねながら、間違いの度合いの少ない方向に向かって進むこと)なんだ。明治国家が始まってから150年のなかに、ファリブリズムによった運動は、ほとんどなかったと思う。アメリカの占領以後もなかった。しかし、ベ平連もジャテックもそのようにやってきた。(中略)

 那須 (前略)僕はいま大学に勤めているので、学生とつきあっていても、そういう感じがする。間違ってはいけないということが自分への刃になっているんです。なんでそんなにせっぱ詰まっているのか。自分は正しい方にいかなきゃいけないと思っている。態度としてはひじょうにいいかげんなんです。でも、なにかしゃべらせたり、書かせたりすると、正しいことしか言えないし、しない。(中略)

 鶴見 日本の教育というのは、もともとそんなもんじゃなかった。渡辺華山が描いた「寺子屋図」は、子どもたちの勉強する様子が、全部まちまちでしょ? 国定忠治なんかも、ああいう感じだったんだから。ところが、岩倉ミッションが明治にヨーロッパに行って、インファビリティ(不可謬性)という考え方をみて、これは便利なものだと思って、日本に持って帰ってきちゃった。(後略)


 (前掲書、pp.12-18)



 現役の学生さんと接していて、「ファリブリズム(まちがい主義)」という考えが、年々なくなってきているように思います。これは私自身も例外ではありません。先輩方から観れば、私もまた同じように言われることでしょう。



 最近僕が大切にしている言葉は「見る前に跳べ」という大江健三郎さんの言葉。就職活動にしても、企画一つ一つをとっても、どうしても失敗に臆して、こじんまりとうまくやる方向になってしまいがち。確かに、「うまくやる」ことは大切。でも、時には無鉄砲に「とりあえずやってみるか」という勢いもまた大事だろうなぁとも思うわけです。その突破力ってあると思うんですよね。無鉄砲と無計画は違うとも思いますし。



 このファリブリズムは、海老坂先生を囲む座談会のキーワードの一つですが、他にもなかなか面白い箇所がいくつもあり、肩の力を抜きながら、いい頭の柔軟体操ができました。こんな休息もまたありですね。



 ちなみにちなみに、海老坂先生とご一緒した座談会に臨むにあたって、私自身が自らの問題意識をメモした「問題提起」を引っ張り出してみました。なかなか小難しいことを書いてますね。なんとも文章が生硬ですね。この未熟な私を寛容の精神でご相手いただいた海老坂先生の懐の深さを再認識させられます。やはりファリブリズムなんでしょう(笑)。