なぜ高校生に市民教育なのか?

 「なぜ高校生なんですか?社会活動は大学に入ってからででも十分でしょう。市民教育の必要性は分かりますが、高校の頃はまず受験勉強させないとねぇ…。」



 学校の先生方などに、シティズンシップ教育の必要性や動向をお話した上で、シチズンシップ共育企画が高校生対象の市民教育事業に取り組んでいることを述べると、よく質問されることです。



 ここ最近、その質問が続いたので、現段階での自分の考えをまとめてみたいなと思います。



 多くの若者にとって、高校時代というのは、人生で(ほぼ)初めて人生の大きな決断を自分で行う時になります。進学するのか就職するのか。進学するのであれば、何を勉強するのか(総合大学であれば、大学選択よりも学部・学科選択が大事!)、就職するのであれば、どういう仕事を選ぶのか。多くのことを、自ら考え、選び、獲得することが求められます。



 しかし、その選択は、非常に狭い世界観(社会観)と人生観のもとでなされていることが多いと言わざるを得ません。いくつかの大学で教えていますが、そのことを痛感しています。学校の先生や家族以外の「おとな」との深交がなく、本格的な社会活動の経験も薄いため、特定の世界観/人生観が強く、また、世の中にどういう学問/職業があるのかの理解も表面的で、社会との関わり方の多様性もあまり認識されていないなと。



 ここ10年ほど、日本では、似た問題意識から「キャリア教育」が熱心です。その必要性は私も認識しています。しかし、それだけでだけで十分かと言えば、そうではないと考えています。自らの仕事観/職業観を鍛え、「どのように働きたいのか?」を問い、エンプロイアビリティを高めることに主眼があるキャリア教育だけでは、「はたらく」ということ以外に、社会にどう関わるのか?という観点が弱くなりがちです。また、自己実現だけでは獲得できない、他者や社会に貢献することで得られる「幸せ」の理解も弱くなりがちです。



 自己実現/自己利益のみを追求する人々が増えれば、市民間の連帯意識は弱まり、社会の相互扶助の機能は脆弱化していきます。しかし、どのような人であっても、人は支え合わずして生きていけません。また、「はたらくこと」以外で社会に関わる人がいなくなれば、市場で取り扱われない領域は空洞化していきます。大げさではありますが、それは「社会」や「民主主義」といった概念が失効していくことに他なりません。



 自分の人生を本格的に自らの手で描き始める高校生(〜大学生)の頃は、「こども」から「おとな」への本格的な移行期で、自己形成が進む時でもあります。そこで形成される「自己」の中に「民主主義の担い手として、社会とどう関わるのか?」というシティズンシップの形成を組み込んでいくことは、民主主義社会として非常に重要なことです。



 つまり「どのように働くのか?」に「どのように社会に関わるのか?」を加えて、「どのように自分は自他と関わりながら、生きていくのか?」という問いを温めながら、自分の人生をデザインしていくことを、その「第一歩」から初めて欲しいと思っているのです。これらの問いと真摯に向き合うためには、キャリア教育同様、シティズンシップ教育もまたしっかりと取り組まれるべきでしょう。



 そのシティズンシップ教育で形成が目標とされる世界観や社会づくりの担い手としての自覚や自信、実践的な行動や態度は、座学で知識や技能を学ぶだけでは身に付きません。だからこそ、(地域)社会に出て、実践体験活動「を通じて」身に付けていけるよう、学びの場をつくっていくべきであろうと考え、各種の企画を提案しています。

 

 改めて言うまでもないことですが、社会に関わるということは、自分たちが「幸せ」に生きれる社会をつくるということですから、自分の「幸せ」ともつながっている営みです。その点で「(滅私)奉公」の精神を育てることとは全く異なります。

 

 なお、「高校生の」シティズンシップ教育についてお話しする時は、もう少し話を続けます。高校を卒業すると、少なからず若者は地域社会を離れます。そのときに「また戻ってきたい!」と思って、地域社会を離れるのと、そうではないのとでは、「その後」に大きな違いが出ます。



 地域という概念の捉えかたは人それぞれですが、そのエリアの広さはともかくとしても、地域への愛着が育まれないまま「おとな」になってしまうと、より便利で、より楽しそうで、仕事のあるまちへと、次々へ移住することになり、結果として、地域は空洞化してしまうということになります。



 「地域に若者がいない(帰ってこない)」と言わなくて済むようにするには、地域に仕事を創ること(や地域で起業しやすくすること)ももちろん必要ですが、この「まち」の人々に育ててもらったという感覚や愛着をもてる機会を中等教育の中でしっかりとつくりこむ必要があります。



 「地域づくり(のための人づくり)は学校の使命ではないのでは?」と考えられる方もいるかもしれません。しかし、地域の人から愛され、様々な協力を得られる学校こそ、教育力の高い学校になります。学校の教育力を高めるためには、地域社会への貢献、いや「参画」が、より一層求められてくるのではないかと考えています。ISOにおいて、すべての組織の社会的責任(SR)の国際標準化の規格策定に向けて議論が進む中、「学校の社会的責任」(SSR)の主要な事項として、地域社会参画が語られる時代も遅かれ早かれ来るはずです。



 もちろん、大学生になってからでも、社会人になってからでも、シティズンシップ教育は遅くありません。自分が社会教育の分野にいますから、よく分かることですが、大学生や社会人を対象としたシティズンシップ教育の機会は既に多くあります。



 また大学生は、高校生までとは比べものにならないほどに「自由」が拡大しおり、人生の中で最も自分で時間の使い方を自己決定できる時の一つで、本人がその気になれば、いくらでもその機会を活用することができます。シチズンシップ共育企画も、大学生のインターンを受け入れたり、様々な研修やワークショップを大学生以上の方々に向けて取り組んでいます。



 高校生に対しての取り組みは、そう考えると本当に少ないものです。高校生を対象とした企画は参加者を集めにくいことが青少年分野でよく言われますが、しかし、だからといって手をつけないわけにはいかないでしょう。シチズンシップ共育企画ではそう考えて、学生スタッフの多くの力を得て、試行錯誤を繰り返しています。今後は、NPOだけで取り組むのではなく、学校や児童館等の機関との教育協働を通じた展開が求められてくるものと感じています。



 一緒に考え、そして動いてくれるメンバー、協働に向けて一緒に検討いただける先生方、ぜひぜひご一報をお待ちしています!