国立大学への進学=親孝行への疑問。

kgu.jpg 「うちの子、国立大学に入学したんですよ。親孝行してくれたわ。」



 この時期、色々なところで聞くフレーズです。このフレーズに僕は違和感を持っています。確かに、学費の安い国立大学に通うことは、「安上がり」という意味で経済的な親孝行であることは間違いありません。



 しかし、そう発言している親の大半は、自らの子どもが通う大学がどのような教育に取り組み、昨今の競争が激化する中で教育充実のための改革をしており、どのような研究者がいて、どの程度きちんとした研究指導が行われているのか、また、子どもの夢の具体化にどれだけつながりそうな学びがあるのかを知っているわけではないでしょう。



 もちろん、進路を決めるのは本人ですから、本人が上記のことをきちんと知り、きちんと判断/決定していればいいのですが、親はそのことを踏まえた上での「国立」であるのかどうかを知った上で「親孝行」かどうかを考えるべきだと思います。



 親心にたてば、自らの子どもが学びたいことを存分に学べる環境に行き、自己を修養し、満足いく人生を踏み出せる未来への投資がなされる学び舎に通ってくれることが、本当の「親孝行」だと思うのです。それはイコール国立であるとは限りません。国立がベストチョイスということも、そうでないことも、両方あり得ます。



 国公立大学だから親孝行、私立大学だから親不孝。そんな乱暴な線引きには違和感を感じざるを得ません。



 確かに僕は、国立の幼稚園・小学校に通い、今の自分の「基盤」を鍛えていただき、素晴らしい教育環境に身を置けました。しかし、高校・大学と学んだ関西学院(写真)においても、大学院で研究を積んだ立教大学においても、今の自分を創り上げる素晴らしい学びをいただきました。僕の専門分野や相性とも大いに関連するのですが、国立大学に通った友人/後輩よりも、人間性を磨くよい教育と、自らの内発的な問いを研ぎすます研究指導を受けられたとも思っています。



 もちろん、親には経済的に大きな負担をお願いすることになりました。そのいただいた恵みをお還しするためにも、社会にお役に立つ仕事をしようと思って、僕は生きています。



 大学に新入生が入ってきました。彼ら/彼女らが自らの通う大学を、自らにとって素晴らしい学び舎となるよう、「使いたおして」満喫されることを願っています。