研修は役に立ったか?

pp.jpg 本日、名古屋で担当した研修で、シチズンシップ共育企画で作成した評価アンケートを受講生からとらせてもらいました(研修の報告は共育企画のサイトをご覧ください)。



 共育企画のアンケートは「研修の内容と方法の改善」と同時に「ニーズの調査」もするという趣旨のものですが、「改善」の類の項目の一つに「今回の講座が現場の変革に役に立つものだったか?」という項目を入れています。



 最近、担当した研修の多くで何度も言っているのが、「今回の研修で学んだことを活かして、現場をほんの少しでも変えていっていただかないと、研修はする意味がない。」ということです。



 それだけに「役立つ研修」をする責任が私にはあります。その責任にどれだけ応えきれているのかを知るためのアンケートでもあります。



 アンケートをとることで、時に「見たくない現実」と向き合わないといけないこともあれば、逆に「思わぬ喜び」と出会うこともあります。いずれにせよ、「やりっ放し」にせず、良かったことはその必然化に取組み、悪かったことは改善を通じて「高品質」を追求しなければなりません。



 ちなみに、大学では授業評価を通じて授業改善やカリキュラム改善を導き出そうとしています(私が非常勤で担当した講義でも評価が実施されました)。「評価」の動きは、高等教育では加速度的に進んでいますが、中等教育ではまだまだです。



 中等教育で「評価」というと、「教員評価」の話として、人事考課や問題教員発掘のためと捉えられる向きもありますが、そうではなく、教育改善という前向きな位置づけて、評価を活用していく動きが必要だと思います。



 評価という行為は「社会との対話」である。そのように私は言っています。授業であれ、研修であれ、「社会との対話」が必要ないことはありえないでしょう。



 もちろん、講師のサイドのみが努力しても、「役立つ学び」は実現しません。学習者が「学びとる」貪欲な姿勢が必須です。「うちの団体は特別なので…」と言って、研修の意味を否定される方は一定数おられます。



 確かに、コンサルティングではなく研修という形式では、完全なカスタマイズは難しいところです。しかし、研修は無意味か、といえば、そうではないでしょう。僕はそう信じています(…じゃないと、今の仕事はしてないです)。



 講師の話や同じ研修に参加した方の話をもとに、自らの現場にひきつけて「うちなら、この話、ここが活かせるんちゃうかな」と考えることができれば、研修は役立ちます。そう、「現場にひきつけて考える力」こそ、参加者にも求められることですし、ファシリテーターはそれをしやすくするのが、仕事です。



 「変革への思考」が刺激される時は、人によって様々です。自らの現場に対する愛着と情熱が高ければ、日々の生活の中で「変革への思考」が日常化しているかもしれません。しかし、多くの人は、本なり、研修なり、講演なり、「思考が刺激されるもの」を必要としているのではないでしょうか。



 また、「変革への思考」の「地平」についても、自分で新たな地平を見つけられる人もいれば、他者からの刺激によって、見つける人もいます。研修で他の参加者の話や講師の話を聞いて、「あっ、そういう見方があったかぁー」と思わされたことが自分にはあります。



 研修は、多くの「契機」を孕んでいると思います。契機を多く含ませられるかどうか、講師は問われます。契機を活かせているかどうか、参加者は問われます。



 くり返しですが、「役に立つ研修」を実現するには、「現場の変革にどれだけ貢献できたか?」と講師・ファシリテーターが謙虚に、毎回の研修をふりかえり、改善し続けること、参加者が「現場の変革の契機はなにか?」と貪欲に「現場にひきつける力」を発揮すること、この二つの方向性が必要なのでしょう。