「ねらい」をごっくん。

manaken21.jpg シチズンシップ共育企画では、これまで21回にわたって、「学びのデザイン研究会」という、いかめしい名前の、その実は非常にくだけた研究会を持っています。



 関西圏でファシリテーターとして活動している人々が6〜7人くらい集まって、「最近こんなワークショップやってみました〜」と報告し、「まな板の上の鯉」になる。そして、その素材をもとにケース検討を重ねるという、2時間強のシンプルな集まりです。



 昨日はその21回目。学校の全校教員研修で教育ファシリテーションについて基礎を学ぶ場をどうつくるかという事例を頂戴しました。



 いつもは、いきなり事例報告から入るのですが、昨日は趣向を変えて、依頼文を全員がまず読んで、自分ならどうプログラム提案するかを考え、共有する時間をもちました。その後で、事例報告とディスカッション。



 研究会後の懇親会も終わって帰路についている時に、うちのスタッフが「あの『自分ならどうするか』を考える時間がよかったですね」と言ってくれました。その言葉に僕は、「あぁ確かに『ねらい』を一度飲み込むと、聞き方が変わるよね」と答えました。



 ねらいを「理解」するのではなく「飲み込む」という表現が、ふと口から出たのですが、なかなかおもしろい表現だなと自分でも思いました(自画自賛でスイマセン!)。「自分のもの」にするためには、アタマで理解するのではなく、腑に落とす必要があるわけですが、そのためには、ねらいを「消化」することになります。



 「こんなワークショップや研修をしてください」という依頼から、その依頼をする背景となっているできごとを掴み、その情報をもとに、ねらいを組み立て、そしてそのねらいを自分の中で消化し、消化した体でプログラムを組み立てたり、練り直したりする。こんな流れでプログラムデザインが進むわけですが、消化不良だと、組み立ても練り直しもきちんとできません。プログラムを見る眼が独りよがりな眼になってしまうんですよねぇ。



 昨日の研究会では、さすが実践者の集まりで、みなさん依頼状の読み込みから、すすっとねらいの消化までが仮デザインの中で進んだので、プログラムのクリティーキングがおもしろかったのでしょう。事例検討は、ついつい「事実の確認」の質問が続きやすいのですが、「ねらいとの照合」を進める質問が続きました。



 ワークショップのケース検討の仕方、手探りですが、こんな感じでポイントを「体験学習」で得ていこうと思います。



 ちなみに、こんなことを考えるキッカケをくれたうちのスタッフは、まだ大学生だし、決して経験もそんなに多いわけではありません。でも、僕はこんだけ考える作業をファシリテートされました。うん、だから「対話」はおもしろい。



 …えっ?消化のプロセスは?って、そのメカニズムはまだ未整理です(笑)