価値観に気づく、価値観を築く

 とってもご無沙汰の更新となってしまいました。オン/オフともに、盛りだくさんな11月を過ごしております。最近、「タイムマネジメント」をテーマとした研修の担当が続いていますが、本当に一日何時間あっても足りないなぁと痛感する毎日です。ちなみに、そのタイムマネジメントの研修タイトルは「限りある時間をどう活かすか?」としたのですが、自分にも向けられる問いかけです、はい。



 というわけで、ちょっとした時間がつくれたので、息抜きにブログでも。このブログでもお知らせしていました、母校での同窓生講演会につきましては、無事に終わりました。学祭で講演会に来ていただける方というのは何人おられるのか、(無名人でもあり)不安でしたが、30名ほど、ご参加いただけました。学生さんのみならず、若手社会人の方や社会人学生の方、地域の方など、多様な方々がおいでになられていたのを、質疑の時間で理解(質疑の時間が面白かったです!ありがとうございましたー)。



 講演会に足を運んでくれた大学時代からの親友にも言われましたが、やはり一方的に「自分の人生」について話し続けるというのは、ファシリテーターという相互性を重視した職業柄か、なかなか慣れないもので、珍しく緊張が滲み出てしまいました(笑)



 これが市民教育やNPOやボランティアについて講義であれば別なのですが、テーマが「働き方」や「生き方」といった、ポリフォニーな語りによってそれぞれが答えを見いだしていくような、ワークショップで取り扱った方がよいようなテーマであったので、なおさらです。



 とはいえ、「講演会」ということですから、話し続けないといけません。そこで、最近考えていることを整理し、場に臨みました。そのすべてをここで書くのはさすがにしんどいですが、最も伝えたかったことだけ、書き留めておきましょう。



 それは「夢」とか「やりたいこと」を見つてから働こう!、というメッセージに惑わされては「いけない」ということです。もちろん、夢もやりたいことも大事なものです。それに意味がないとは言いません。しかし、社会観/世界観/仕事観のいずれも未成熟な学生時代に考えた「夢」や「やりたいこと」は、みんながみんな、後生大事に変わらないものでしょうか?



 いわゆる「社会」に出て、いろんな仕事や職業、働き方と出会っていく内に、「なるほど、こういう仕事/職業もあるんや」「仕事にはこんな面白さもあるんや」「やっぱこっちの方がいいな〜」「これにもチャレンジしてみたいな」と思うことは当然にあり得る話です。



 しかも、人生とは計画的に生きられるものではないでしょう。予期せぬことの連続です。もし、計画的に生きられるとしても、そんな計画型人生は楽しいものかどうか、といえば、きわめて怪しいと私は思います。そこには予期せぬものを楽しむライブ感がないのではないでしょうか。



 私は自分が起業するなど、思いもよりませんでした。年間30本くらいのご依頼をいただいていた頃でも、サラリーマン生活の傍らでファシリテーターをしているんだろうな、くらいのイメージでした。また、いま楽しんで取り組んでいる幾つかのワークショップを自分が楽しんで取り組めるとも思ってもいなかったことです。



 そのように自らの身も振り返った上で考えると、「君の夢は何だ?本当にやりたいことは何だ?」「あなたが、もっとものめりこんだのは、どういう時か?その時に何があったから楽しめたんだ?」と問い、その「答え」と関連するところで働かないといけない、というメッセージは、余りしっくりこないわけです。



 人生は予測できないし、自分の「夢」や「やりたいこと」の変化も予測不能です。そうした予測不能な中で、私たちは様々な「問いかけ」を伴う出来事を人生の方から投げかけられ、それにどう応えるべきかを判断しつづけている、と言えます。そうした様々な「判断」の積み重ねの中で、「これが自分が生きる仕事や!」と浮かび上がってくるものでしょう。もちろん、学生の頃に打ち立てた夢ややりたいことが、「やはり!」と強化されていくケースもありえますが、おそらくレアパターンでしょう。



 であれば、そうした「判断」をするときに、判断基準として働く自らの「価値観」をきちんと鍛え、変化にも拓かれている「感性」をきちんと磨いておくことが学生時代に最も大切なことだと思う訳です。いや、正確には一生涯、価値観を鍛え続けられる/感性を磨き続けられるだけの素地と体力をつけておくことが大切です。



 様々な大人とふれあうこともそうです。一見「変な人やなぁ」と敬遠しそうな人ととでも出逢う中で、「意外と…」と思うこともあるかもしれませんし、「やはり…」と思うこともあるかもしれません。また、一見難の役に立たなそうな哲学/思想の本と格闘することもそうです。それを理解することが大事なのではなく、反射板として自らの価値観/感性に気づいたり、自らの価値観/感性を築ていくことが大事です。



 自分の夢を問うだけではなく、自分の価値観を問え。これが学祭でいくつか述べたことの最も大事なものの一つです。



 ちなみに、シチズンシップ共育企画では、市民教育事業部の中に「価値教育(value education)」を取り扱うセルフカルチャー・プログラムという取組みがあります。この取組みはまさにそうした価値観/感性に気づき、価値観/感性を築くための機会を増やすものです。社会を幸せにするだけではなく、自分も幸せに生きるには、そうした学びを続けられる場が本当に必要なんだと思っています。「生と死の共育ワークショップ」以外にも展開していきますので、どうぞお楽しみに!まずは2010年1月21日。内容はまたお知らせします。

 余談です。「働く」ことで関連することですが、先日NPO業界の某先輩方と一緒に話していて「そうそう!」と激しく同意したことがあります。よく社会起業家NPOワーカー、フリーランスをさして、「やりたいこと」で食っていると言われますが、これは少し誤った表現だということです。



 他者がお金を払って「やって欲しいこと」と「やりたいこと」が一致しているところで食っているわけで、自己実現だけではなく他者実現もセットになって、初めて「仕事」になるわけで、決して「やりたいこと」を無理矢理「仕事」にしているわけではない、ということです。そこは勘違いしないで欲しいなぁと思います、はい。