それでも、僕は想像力に期待する。

 「体験してみないとわかんないですよね。」



 体験学習(経験学習)の重要性をよく話していると、そんな言葉をお返しいただくことがあります。確かに「体」を通して理解したことは「身につく」ことも多いでしょう。身体化もされていきます。



 しかし、体験しないとわからない、と言い切ることには、ためらいがあります。



 まず、体験したからといってわかるわけではありません。まずはそのことがあります。これはよく体験学習への誤解を正すときに言いますが、体験したからといって自動的に学びが起こるわけではなく、「体験から学ぶ」ようになるには、そうした学び方を習得する必要がありますし、そのための適切なふりかえり(問いかけ)が必須です。



 次に、人間はすべてのことを体験できるのか?と考えれば、それはまずもって無理で、体験しないとわからない、というフレーズは、即ち個々それぞれは体験できる範囲の狭小な世界でしか物事の理解が進まないことを意味してしまいます。体験することがとにかく大事なのだという考えかたを進めると、体験のリストづくりに進んでしまいますが、その分、体験を味わう(深める)時間もかなり多くとらないと、余り意味をなさないことは言うまでもありません。しかし、やはりそれでも、限界はあります。



 だからこそ、人間には「想像力」があるということに、僕は期待したいと思います。そのイメージが単なる「空想」や「妄想」ではなく、何らかの基盤をもつ「想像」であることが大事です。



 その意味で、想像力の素地や基盤、踏み台になる体験や、その上での想像力を喚起する体験というものがあるはずで、そうした「体験」は積み重ねていくことが大事でしょう。具体的に何なのか?と問われれば、まだ見えきっていませんが、今はそう考えています。



 特にそうした「基盤体験」のようなものは、子ども・若者の時に備えておくことが、よいでしょう。学校教育の中で得ることが望ましい体験学習の機会、そこを考えていけるといいですね。



 もちろん、「想像」には想像する側の勝手な理解も含まれるでしょう。誤解だってあるでしょう。だからといって、想像を臆してしまいたくない。そう思うのです。常に訂正に開かれている想像であれば、いいのではないでしょうか。



 想像力を鍛えるためには、体験のみではなく、もちろん書物も重要です。良質な書物には概念(ことば)があり、想像したことのお手本があり、想像の仕方のヒントもあります。想像力の踏み台になる体験をする秋、その体験を昇華させる書物と格闘する秋、そんな秋になるといいですね。