自分を新たにする瞑想

 私がウェブ日記を書き始めたのは、2000年1月のことです。就職を契機として2005年3月にブログに移行するまでは、毎日書き記していました。ブログに移行する前の日記の頃、何度となく、生活の中で実感し、書き留いていたことがあります。



 それは「瞑想」の大切さです。



 このブログでも書いたことがありますが、昔は本当によく書いていました。チャペルアワーなどの「瞑想」の機会に恵まれていたのでしょう。最近は忙しさにかまけて、すっかり置き去りにしていました。



 しかし、本当に必要な時には自然と瞑想の時間に入るようです。昨日、シチズンシップ共育企画のボランティアがあるプロジェクトの振り返りミーティングで投げかけた、私も含めたファシリテーターの「あり方」に関する問いかけが非常にぐっとくるもので(ボディブローのように効いてます)、自らの至らなさや不完全さと向き合う機会をいただきました。



 すると自然と瞑想の時間に。いただいた言葉を反芻しながら味わい、そして、その言葉と過去/現在の自らとの対話の繰り返し。この一見、静止/後退のような営みが、自分を新たにするのですから、何とも言えないものです。



 具体的に何だったかと言いますと、自分が他者に対して「こうあって欲しい」と願い、何らかの働きかけをする時、時に自分自身が「できあがっている」存在と自らを完成形と勘違いしたり、自分もまたその目の前の他者との相互作用によって、変わっていくことに目をつむってしまったりすることがあるよなぁ…ということを考えさせられたのです。



 まだ何かポン!とクリアに見えてきたわけではありません。しかし、瞑想の大切さを改めて実感していることは確かです。やはり、どれだけ忙しくても、少しは立ち止まる時間、必要ですね。自分で自分を見るというのは、そう容易ではありません。



 知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。(コリント一8:1-2)