「行動を動かす気持ちに関わる」ほか

 今日は、こどもの城(児童育成協会)主催「地域における中高生活動ファシリテーター講習会 in 京都」のワークショップのファシリテーターとして、お仕事して参りました。



 その席上、教育ファシリテーションの小話として、以下の2つのトピックに触れました。本番の話に少し加筆したものをご参考までに転載しておきます。



行動を動かす気持ちに関わる



 ファシリテーションは、無理に子どもの行動を変えようとするものではありません。学校の先生は成績などを振りかざして、生徒の行動や態度を無理矢理変えていることがありますが、本当に変えたことにはつながっていないでしょう。そのことをファシリテーターが繰り返してはいけません。



 子どもが「行動を変えてみよう(かな)」という気持ちや意識を変えるために働きかけるのが、ファシリテーターの仕事。もちろん、一つの体験として、時空間を区切って行動を変えてみることはありえます(ラボラトリーメソッドもそうでしょう)。それで気持ちの変化を促すためには、振り返りがとっても重要になってくると思います。



 気持ちの変化にかかわるファシリテーション。だからファシリテーターは「情動」に関心を持つのです(コンテントよりプロセス中心)。





なぜ年上のメッセージが若者に入りにくくなっているのか?



 この問いについては、時代の変化も捉えて答えるべきでしょう。1980年代後半までは、なんだかんだ言っても、年上の言っている通り生きていれば、人生が何とかなったと言えます。分かりやすく言えば、いわゆる「学歴神話」がまだ生きていた頃のことです。ですから、極端な例ではありますが、非行少年は(本音では不満でも)一定の年齢に達したら、潔く「〜族」を「卒業」して、大人の声に従っていったと言えるのではないでしょうか。



 今は大人のメッセージを受け止めたところで、そのメッセージを発信している大人自身の人生も先行きが見えていないわけで、信じたところで、自分の人生の不確実性は高いままです。だから、上からのメッセージは若者に入りにくくなっていているのでしょう。この段階になると、上からメッセージを垂れ流すのではなく、「一緒に考えよう!」というアプローチが求められます。



 しかし、00年代以降、顕著になった通り、あまりにも先行き不透明感が高くなりすぎて、自分で未来を考えるにも考えられなくなっており、またもや「答え」を示してくれる人を求めている状態です。こうして「力強いリーダー」を求める傾向が高まっているわけですが、ユースワーカーがそのニーズに応えることは危険でしょう。そこに主体性はありません。



 こんな世の中でも自分で考えなアカン!と伝え、不確実性の中で生き抜く人間を育てることが今の青少年教育の課題の一つであると私は考えています。