仲間になるために払う「参加費」

 昨日・今日と兵庫県下のNPOで働いている(働く予定である)若者が集う場がもたれました。代表・事務局長クラスは、いろんな会議でお互いに顔を合わせるものですが、なかなかスタッフレベルとお会いするのは珍しいことで、僕自身、初めてお目にかかる方が多く、「おぉー、こんなにNPOでご飯を食べている若者が兵庫にもいたんや〜!」とびっくりいたしました。



 学び合い、支え合っていくネットワークを形成し、今後の兵庫のNPOを盛り上げていこう!ということで、私も呼びかけ人の一人となって仕込んできた場がようやっとカタチになりました。



 1日目は交流会で、2日目は「なぜNPOで働くのか?」というテーマのワークショップに一緒に取り組みました。今回は、そのワークショップのファシリテーターが僕のお役目でありました。



 もちろん、プロボノ。それどころか、参加費を普通に支払っての担当です。私のみならず、事務局的な役割をご担当された方も参加費を支払っています。先日、友人にこの話をしたら、「えぇ!?参加費はらって、ファシリもタダでするん?」と驚かれてしまいました。しかし、こういう場に関われる、「参加」できるようにするための「参加費」だと捉えれば、違和感はないのではないでしょうか。



 パソコンのシェアウェア・ソフトに注目して書かれた本におもしろい記述があります。



 お金がソフトウェアという「モノ」に対してではなく、まさに開発プロセスへの「参加料」として支払われていることを示すものである。理論的には、経済的取引はその場で決済が行われるのが原則で、ふつう関係は継続しない。貸し借りも義理人情も「あとくされ」もない。しかし、シェアウェアにおいてはお金が参加料として支払われるため、逆に関係を継続させるという側面がある。つまり、お金は「自発性のネットワーク」を支えるために寄与しているのであって、両者は決して水と油の関係ではない。金子郁容監修、宮垣元・佐々木裕一著『シェアウェア−もうひとつの経済システム』NTT出版、1998年、p.86)



 まさに、本日「から始まった」ユースの集いという「自発性のネットワーク」へ参加させてもらうために参加費を払い、そして、その参加させてもらった場のプロセスにコミットしている、というわけです。やや不思議に見えるお話かもしれませんが、ボランタリー経済の「おもろい」ところです。



 シチズンシップ共育企画もそうですが、NPOは様々な活動に参加費を払っていただいた方々を、きちんと市民運動のパートナーとして捉え、関係性を紡いでいくことが大事でしょうし、特定の当事者を対象に運動をつくるのであれば、当然、活動の開発プロセスへも参加の門を開いていくべきでしょう。



 提供者/受益者と区分するのではなく、その立場の違いをいとも簡単に越えていける「ネットワーキング」こそ、市民活動の強みに他なりません。



 今回のユースの集いは、そんなことをふと思い返させてくれる場でありました。これからこの「自発性のネットワーク」は、少しずつ力と知恵、参加費を持ち寄りながら、様々な活動を展開していきます。兵庫県NPOで働いている(働く予定のある)みなさん、ぜひこの場に「参加」しませんか?