ためらいのセンス

 即決・即断・即行・即効…とスピーディーであること、効率的であることが称揚される昨今ですが、そうした傾向に対する違和感を最近抱いています。



 現実社会は複雑で多様であり、AかBか、白か黒かと「すぐに」結論を出すことは難しいのではないでしょうか。現実はAでもありBでもあると、多くの意見に耳を傾け、判断を留保しながら、悩んだり、考え込んだりすることは、「じれったい」と思われがちです。



 しかし、「本当にそうなんかな?」「これでええんかな?」「他にどんな考えがあるのかな?」と微かな違和感を大切にし「ためらう」ということは、社会の複雑性/多様性に対する誠実な姿勢でしょう。そうした「ためらいのセンス」を磨くことこそ、現代社会において、求められていることではないでしょうか。



 折しも今年は丑年。時には牛歩のようなゆったりした時の流れの中で「ためらいのセンス」でじっくりと構え、多くの選択肢を切り捨ててしまう行動や思考ではなく、つながりをつくっていく行動や思考を大切にしていきたいものです。



(2009年の僕の年賀状のメッセージより)



 ちなみに、2008年の年賀状も確認してみると、今年と似たようなメッセージでした。芸がないといえば、それまでですが、不景気の中でサバイバル感がいっそう高まり、勝ち/負けをつけるために、「われわれ」を分断していく流れにあらがい、「連帯」を発信する必要性が高まった、とも言えます。



2008年の年賀状のメッセージ



「何でも見てやろう。」



 2007年に亡くなられた作家・小田実さんの代表作は『何でも見てやろう』。この無差別で貪欲な知的好奇心と大胆な行動力の表明を私たちはどう受け止めるべきでしょうか。私たちは膨大な情報を日々役に立つかどうか、関係があるかどうかと短期の効率性をもとに取捨選択しています。



 しかし、今一度一つひとつの情報、そして出会いを大切にし、多様なものの見方と考え方を育んでいきたいものです。関係を選んで、断ち切るのではなく、一見すると雑多で無駄なものであっても、関係性を紡ぎ出していく業を磨きたいものです。



 好奇心/行動力を高く持ち続けて、深い民主主義と共生を志向する市民社会の発展のために力を注ぎ込む2008年にしたいと思います。