わたしの「光」に気づくクリスマス
今月もまた、ドタバタライフで投稿が少なくなってしまい、申し訳ありません。先月担当した景観ワークショップの際に論じた「3つの景観」論や、現在、企画委員としてコミットしている財団法人京都市ユースサービス協会が今年で20周年を迎え、そのことを記念したメッセージなど、掲載したいことはいろいろあるんですが、忙殺されながら過ごしている内に、クリスマス・イブを迎えてしまいました。
改めて言うまでもなく、イエス・キリストが生まれた日として祝われているのが、クリスマスですが、キリスト教主義教育の学校を経られた方はご存知の通り、12月25日に生まれたという証拠はなく、また初期キリスト教にはクリスマスという祭事は存在していなかったものだと言われています。
多くの世界宗教もそうですが、様々な土着宗教を吸収しながら、様々な人が受入れられるよう、教義や祭事が膨らんでいっています(もちろん教義や祭事の膨らみには発展したという要素もある)。クリスマスもその例外ではなく、古代、地中海沿岸で広まっていた異教の太陽神信仰のお祭りを吸収して生まれた行事。
しかし、最も寒い時に、最も夜が長く「闇」が支配している時に、あたたかな「光」のありがたみを感じ、みんなでその到来を待ち望むというところには、シンボリックな意味での豊かさがあります。
異常なまでに急速な世界的な景気後退は、多くの社会的弱者に激しい痛みをもたらし、学生のみなさんには就職戦線の苛烈化をもたらし、私たちの先行き不透明感とそれに伴う不安は、一層増すこととなりました。
こうした闇が覆うこの社会だからこそ、私たちは「希望の光」をわが胸に灯し続けるべきでしょう。
私にとっての「希望の光」とは何か。闇夜の中で生きる勇気をもたらし、わが足下を照らす光はどういうものか。私が他者を支える時に照らす光はどういうものか。
それは宗教である必要はもちろんありません。自らを支える夢であったり、指針であったり、哲学であったり、いろいろでしょう。
わたしの「光」に思いをめぐらせるクリスマスイブとなることを希うばかりです。
ちなみにこの日に多くの教会で読まれる聖句。
いと高きところに栄光、神にあれ。
地には平和、御心に適う人にあれ。
(ルカによる福音書2章14節)
みなさんの上に平安と平和がありますように。