「思わぬ出会い」と「予測不可能の語り」

28978.jpg いまの時代を生き抜く上で本当に考え抜くべきであろうテーマのシンポジウム『「コミュニケーションと<痛み>」〜他者と出会い・つながる知恵を求めて』(主催:應典院寺町倶楽部)のご案内をいただきました。



 分かり合いやすい仲間同士で、分かり合いやすいテーマの中で、「なめらかに」無傷にコミュニケーションする。こう書くと、違和感を持つ方もいるでしょう。



 しかし、現在私が教えている幾つかの大学の授業で、グループワークをしようとすると「友だちと一緒じゃないとイヤ」とか「知らない人と一緒にするのは<しんどい>。」と真顔で訴えてくる学生が、少なからずいます。



 他者とコミュニケーションするとは、どんなに旧知の間柄であれ、完全に分かり合えていない関係の中で情報と体験を分かち合いながら、分かり合える部分/分かり合えない部分をともに分かち持ち、その上で共に生きていける関係をつくっていく過程だと言えます。



 その意味で、コミュニケーションのおもしろさは「思わぬ出会い(邂逅)」の中に、あるいは、「予測不可能な語り」の中に、多く含まれています。



 しかし、昨今われわれは、目の前の相手を「わかりあえるかどうか」非常にスピーディーに峻別し、できるだけ「もめごと」が起きないように細かい配慮をし、という、コミュニケーションの醍醐味から離れる訓練を知らず知らずの内に重ねてしまっています。



 そうした社会全体の「隠れたカリキュラム」で習得してしまったコミュニケーションスキルを一度冷静に見つめ直し、コミュニケーションの醍醐味と「大変さ」をきちんと味わっていくための作法とはどういうものか、考えてみるべきではないでしょうか。



 今回のフォーラムはこうした問いを提示してくれています。



 私は同日、「ひょうごボランタリースクエア21」の全体フォーラムのコーディネーターを担当するため、参加できませんが、若い方については應典院寺町倶楽部のシンポジウムに是非とも足を運んでほしいと強く思います。



 なお、ひょうごボランタリースクエア21のフォーラムのテーマは「コミュニティ再生と地域連携」。私自身、神戸市協働と参画のプラットホームで2年がかりで向き合っている「地域団体とNPOの連携」について、全県的に面白い事例を取り上げて議論を深めます。現在市民活動されている方はぜひこちらに!