『流学日記』

414npaxcvbl._sl160_.jpg 仕事柄、一年間で非常に多くの人と各地で出会います。その一つひとつの出会いからいただくものが積み重なって「いまの私」があります。そうした出会いの日々の中で、本当にビビビっとくる、心が動く出会いを先月いくつか与えられました。



 ワークショップでご一緒した岩本悠さんは、そのお一人。地域を動かす教育を創り出すために、島根は隠岐でご活躍の悠さんとは志や興味の方向性で通じるところがあり、今後もコラボしていきたい!と強く思わされました。



 不覚にもお会いするまで、僕は存じあげていなかったのですが、かなりの有名人のようで、シチズンシップ共育企画のスタッフからも「えぇっ!!、岩本さんと会ったんですか〜」と驚かれました(キャリナビ地球人図鑑など、ぜひご覧ください)。



 悠さんは学生時代に1年間休学して、世界20カ国を放浪しながら、学び・気づきの時を過ごし、「自らの生きかた」をじっくり向き合ったのですが、そのことが『流学日記』(文芸社、2003年)という本にまとまっています。



 最近の学生を見ていると、「あきらめが早いなぁ」と思うことがあります。変に大人びているのか、いまある「現実」を動かしがたいものとして理解し(この点はこの記事も参照してください)、その見地から先を読んで、予測される「困難さ」にひるみ、そして身動きをとらなくなっていくのです。そうした学生に対しては「見る前に跳べ」という大江健三郎さんの言葉をよく投げかけてきていたのですが、最近ではあわせて悠さんの『流学日記』をおススメしています。



 同書の中では「逃げ出した」というフレーズで放浪の旅が始まる訳ですが、まさに闇雲に飛び出してみたら、素晴らしい出会いと瑞々しい学びがフィールドが広がっていた、そのことがよく伝わってきます。

 

 この本の一年間をシンボリックに表す上で、アフリカのウガンダで記されたものとして、同書に収められている次のフレーズが良いかと思いました。



 彼らは<時間>にも<年齢>にもとらわれず、今この瞬間をあるがままに生き、そして死でいきます。このシンプルさの中に<生>の力強さが、そして<生きること>の原点があるように僕は感じています。(前掲書、p.122)



 そう、この本は実に力強い生がみなぎっている。でも、この本は成長プロセスのストーリーです。その<生>の力強さは鍛え上げられていったものが同書からも垣間見えます。それは「単に旅をした」のではなく、旅の先々での体験をしっかりと振り返り、体験学習法の循環過程をまわしながら、「学ぶ旅」をしたからこそなのでしょう。



 同書には、タンザニアのインターナショナルスクールで、旅の体験談を高校生に話すという体験を振り返って、以下の記述が見られます。



 どんなに大げさなジェスチャーや表現で笑いをとっても、銃や死体の話で興味を引いても、深みのない話しかできない自分。そこで見た出来事や、やったことは伝えられても、そこで自分が何をどう感じたか、何に気がつき、何を考えたか、肝心なモノを伝えられないのだ。彼らは僕の体験談を楽しんでくれたようだったが、僕は自分の中身のない話が不満で仕方がなかった。(前掲書、p.156)



 「流学」にこだわっていたからこそ、生じたこの不満が、同書を出版するという形で昇華されていったのでしょうが、昇華される程に書ききったからこそ、「過去の武勇伝」にしがみつかず、「次」に踏み出していくことを可能とせしめたのでしょう。



 その意味で、この本からは、(1)若い内は特に「無謀/無茶」できることを活かすべきである、(2)旅をすることは学ぶことになる、(3)学ぶ旅であるためには「かかわり」が豊かな旅でなければならない、(4)また単に旅をするだけではなく「振り返り」を通じた学びの整理と「書くこと」による昇華が大事である、といったようなことの示唆を得られます。



 僕は何かしたくてここへ来た。でも、こんなあれらを前に何もできない自分。この現実を目の前にした無力感。

 何の役にもたたない自分がやるべきこと。それはきっと、石を運んで汗をかいて、それで何かをやったような気になることじゃないはずだ。それはきっと、この<現実>にぶつかって、今の自分を壊しながら成長していくことだ。そうだ、これは学びの旅、流学なんだ。
(前掲書、p.46/インドでの日記)



 ちなみに、僕はこの記述にやられました。ぶつかって、壊れて、でも再生して、またぶつかって…。うん、もっと情熱的に生きなな。28歳を間近にして、心新たにがんばります。



 続編として、岩本悠+ゲンキ地球NETこうして僕らはアフガニスタンに学校をつくった。〜流学日記セカンドステージ』(河出書房新社、2005年)もあります。こちらもあわせてぜひご覧ください。