愛するということ、待つということ。

 先日、シチズンシップ共育企画が事務局を担っているユースACTプログラム(詳細はこちら)の学生ボランティアの研修がありました。といっても、僕がファシリをするのではなく、うちのインターン生が進行や講義を担当し、僕はオブザーバーに。



 そのプログラムのワークの一つで、プログラムに参加してくる高校生をサポートするために必要なものは何か?という話し合いがあったのですが、ボランティアの学生が「愛」と大きく書いたポストイットを出してくれました。



 そのワークの後に行われたファシリテーションの基礎知識に関する講義で、インターン生が文献や資料を参考にしながら、「ファシリテーターには、参加者に対する無条件の愛と信頼が必要である、と書いていますが、どういう意味でしょう。」と参加者に投掛けていました。



 そこで、僕もしばし沈思黙考。



 愛情を持って参加者一人ひとりに接していくことは確かに大切だし、ファシリテーターが一人ひとりとの関係を大切にしていくことが「よい場」の規範の形成につながる、とも言えるでしょう。



 また、参加者やグループが持っている力を信頼する、つまり「答えは参加者の中にある」と信じて、ファシリテーターは「そそのかし」をしていき、その反応をしっかり受入れ、「プロセス」に寄り添っていく、ということは、ファシリテーションで最も大切にすべきことでしょう。



 こんな感じで、インターン生の投げかけを僕なりに受け止め、「無条件の愛と信頼」ということを少し意識しながら、まさにファシリテーションが実践されているプログラムのオブザーブを続けました。



 で、プログラムも終盤に。最後のメッセージで、僕はファシリテーターに求められる「愛」とはどういうものであるか、ということを、聖書の言葉をお借りして、お話しました。



 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。(コリント一 13:4-7)



 この聖句をじっくりと味わってみると、「愛する」とは「積極的に待つ」ことだと、気づかされます。ファシリテーションは「促す」という意味の英語facilitateの名詞形ですが、「促す」という言葉から連想されやすい積極的な働きかけの様とは異なる、謙虚である意味受け身なところに、ファシリテーションの真義があるように思います。



 ファシリテーションのブームは衰えるどころか、ますます過熱気味で、様々な本やセミナーが飛び交っています。しかし、その中にあって、ファシリテーションの核心部分にある、この「待つ」ということの、「愛する」ということを、丁寧に取り上げているものは、残念ながら、少ないと言わざるを得ません。



 決して、講義もワークの組み立ても、技巧的に上手だったとは言えませんが、インターン生の誠実で真摯な姿勢から、自然と提起された問いかけに、僕も以上のようなことを気づかされました。ありがとう。



 ファシリテーションはしっかり考えると、実に奥深い、本当にそう思います。