個あって全体、全体であって個

 僕と同い年の友達で、きょうとNPOセンターで働いている戸田くんの弟さんが映画監督だそうで、新作のご案内をいただきました。



 「花の袋』という映画です。



 これから上映される作品ですから内容はまだ分かりませんが、ウェブサイトなどを拝見していると、生きる上では傷つくことが避けられないはずにも関わらず、多くの人が現代社会にあっては傷つくことから逃げている、との問題提起がなされています。



 「気づくとは傷つく」ということだ、とワークショップの業界で使われる言葉があります。傷つくことを避けるということは、自己/他者/社会への気づきからも遠ざかることだと言えるでしょう。



 このように考えれば、市民社会の形成のためにも「傷つくことからの逃避」という流れには抗うべきであることは言うまでもありません。



 しかし、この流れは、若者が脆弱になったからか、それとも、傷つく(繊細な)人間に対して厳しい/冷たいまなざしが注がれる社会になってしまったからか。どちらなのでしょうか。考えさせられるところです。



 傷つくことに耐えられる(一定の)強度をもった個の確立と同時に、「弱さ」を認める寛容な社会や、弱さをわかちあえる親密圏が、若者の周りに整えられていくことが大事なのではないでしょうか。



 そういえば、関西学院高等部卒業の時に、部長先生が熱心に、聖書と哲学の言葉を駆使しながら、高等部の同窓は「個であって全体であり、全体であって個である。そういう関係性をつくっているのだ」というお話をされていました。



 その当時、高校三年生の時には訳も分かりませんしたが、今回の映画について思いをめぐらせている内に、「個の確立」と「共同体による支え」の相補的な関係について、得心できたような気がします。



 というわけで(!?)、観る前から期待が大きく膨らむ映画です。僕は7月1日に観に行きます。みなさんもぜひ映画館へ!

 余談ですが、気がつけば、身近なところにアーティストが増えてきています。今回は映画監督さんでしたが、NPO業界関係で詩人のお友達もいます。高等部剣道部時代の仲間でも、同期のキャプテンと、仲の良かった後輩が神戸を拠点にミュージシャンとしての道を進んでいます。



 後輩のバンドは「フォノディオン」って言います。神戸で大注目/急成長中のバンドです。もう大ブレイク間近ですね。6月7日の夜には自主イベントも開催!ぜひぜひ、ご贔屓に。僕も大応援中です。