「体験の不足」ではなく「考えることの不足」

 今月は、全然ブログが更新できませんでした。。こんなに更新できない月は僕がウェブ日記時代(2000年)から考えても、非常に珍しいことです。



 決して書くネタがなかったわけではありません。むしろ、書くネタになりそうなことが愛続くほど、忙しくも充実した日々であったということです。



 シチズンシップ共育企画運営委員会合宿での「教育の現状を語らうトークセッション」で出された問題提起、神戸市産業振興局から受託している「6人の鉄人に学ぶ!コミュニティビジネス起業講座」の受講生がお示しになられた起業プラン(とそのための行動)のこと、阪神・淡路大震災から13年目を迎えた「1.17」をめぐって「なにを/なぜ伝えるべきか?」ということについてインターン生とディスカッションをしたこと、大阪府知事選でみた「世論あって公論なし」という公共圏の貧困を巡る問題提起、大学での秋学期の講義(3科目)を終えての雑感、幼稚園の次世代人材がみるべき地平について…など、もう書きたいことは実に盛り沢山なのです。



 その他にも、今月からはインプットも重視ということで、聴講した国際シンポジウム「ボランティアリズムと教育」(立命館大学)や、現在受講しているアートマネジメント講座「女性の視点」(ドーンセンター)での学びの整理もしたいと思いながら、月日が経っています。



 また、今月は『民主主義と多文化教育』や『カミングアウト・レターズ』はじめ、面白い本との出会いもありました。マイノリティの文化をどのようにシティズンシップ教育の中で取り扱うのか、ということは、当面よくよく考えることになりそうです。



 こうした体験の洪水状態だと、体験を整理して、ふり返り、そこから意味をきちんと見いだす思考の時間、そしてそれを言語化する時間。それがどうしても、軽んじられがちです。今の若者は、まだまだ体験不足だとは思いますが、しかし、「体験の不足」よりも「考えることの不足」が今となっては問題ではないでしょうか。自分がそうなっているので、特に「ふりかえる」ということが軽んじられているように思えます。



 こんな「体験の不足/考えることの不足」についても、シチズンシップ共育企画運営委員会合宿でなされた議論の一部なわけで、いやぁ今月は色んなネタがあります。今月考えたことは2月でも随時取り上げていきたいと思います。



 ひとまず、生存報告と、今月のハイライトのお知らせでした。