死にゆくものとの共生

 今年度から、大阪経済大学大学院人間科学研究科の「人間共生専攻」というユニークなコースで「人間共生特殊講義」と、これまたユニークな科目を担当しています。



 一度、このブログのこの記事でも紹介いたしましたが、「共生社会の創造」というテーマのもと、マジョリティが唱導する共生社会と、社会的弱者やマイノリティが訴え求める共生社会の「ズレ」を手がかりに、草の根からの視点で、現在の共生社会論を吟味しています。



 授業の組み立ては、基本的に1コマ分をフルに使って、(極力現場に足を運ぶフィールドワークで)、社会的弱者の方々を支援するNPOの実践家からお話をじっくり伺い、次週にリフレクションをかねたディスカッションを大学で行なうという形式を繰り返しています。



 で、今日は、菜の花診療所と應典院という2回分のフィールドワークを踏まえて、「高齢者/死者の視点から考える人間共生」というテーマでのディスカッション。僕からは以下のレジュメを問題提起として出しました。最近の僕の関心事がよく出ています。



 川中大輔 (2007) 「高齢者/死者から考える人間共生」(大阪経済大学大学院人間科学研究科「人間共生特殊講義」授業資料)



 なお、院生の西川くんからは、社会的排除の中で「孤立化」している人々の中でも、一度大きく問題項として取り扱われ、各種対策が展開された後、(例えばピーク時を過ぎる等して)「一定の解決をした」という認識を社会にされてしまった人々が、最も孤立し、取り残されてしまうのではないか、という問題提起がありました。



 ニーズが縮小していっていく中では、NPOも経済的な持続可能性を維持するのが容易ではなく、残余ニーズが「取り残される」という状況を引き起こしやすいのではないかという西川くんの問いかけは、非常に重く、核心の一つをついています。



 現場で目の前の活動に追われるだけではなく、こうしてアカデミックな視点から現場を見直すというのは、本当に大切なことだなと思います。すぐに何かを生み出すわけではないですが、「根っこの部分」を鍛え上げることを怠けてはいけないでしょう。