何のためにファシリテーションを用いるか?

 誕生日を迎え、27歳になりました。「えっ、まだ27歳なん!?」との声が方々から聞こえてきそうですが…。



 今年の誕生日は徳島でCSRに関するパネルディスカッションのコーディネーターを務めさせていただき、過ごしました。グローバルな視野でCSRに取り組む富士ゼロックスと、地域社会に密着してCSRに取り組む石原金属の二社のご担当者をパネリストにお迎えしてのセッションでは、CSRへの視点は対照的なんだけれども「企業品質」は何ら変わりない、そのような素晴らしい事例発表が題材となって、刺激的な2時間を楽しませてもらいました。



 友人にその話をしたら「27歳がする仕事かいな?実は37歳ちゃうの?」などとツッコまれましたが(笑)。



 こんな感じで仕事とともに誕生日を過ごした訳ですが、14日から24日までの10日間は、ほんと仕事盛り沢山の日々でありました。その中でも、シチズンシップ共育企画主催で行なった生と死の共育ワークショップ「『もう死にたい』という友人にあなたはどう接するか?」は、これからの自分の仕事をデザインしていく上でも転機になるものの一つであったように思います。



 生きていく上で、「もっと向き合うべきテーマ」なのに、忙しさや面倒臭さを理由に考えることを避けてしまっているものが、世の中には山ほどありますが、その一つが「(自分が/他者が)死ぬってどういうこと?」という問いだと思います。



 この問いについて、自分も明確な答えを持ち合わせていませんから(だからこそこういうワークショップが必要だと感じたのですが)、今回実施したワークショップでは、ファシリテーターでありながら、参加者でもあるという状態になりました。あまりにも「大きな体験」すぎて、今なおじっくりと消化中で。。これこそ、本当の意味での「ワークショップ」だなぁと実感。



 ファシリテーターとして活動を始めて6年が経ち、様々な経験をつむ機会を与えていただきました。そのおかげで、一定の技量もつき、今はファシリテーター育成にも取り組む立場になりました。



 しかし、今回の生と死の共育ワークショップを通じて、改めて「ファシリテーションのチカラやワークショップという手法を何のために用いるべきか?」と考え出しました。そうすると、今、メインの仕事となっているマネジメント講座や会議進行、大学講義「だけ」でほんまにええんかなと思ってしまうわけです。(マネジメント講座や会議進行、大学講義が意味あることだとは、もちろん今でも思っています)



 多様な人、一人ひとりが「豊かな生」を生きるために、本当はもっと向き合った方がいいんだけど、向き合う機会がないなという事柄についても、もっともっとファシリテーションやワークショップというものを用いていきたいなと。



 27歳となると、30代をどう過ごすか?何のために過ごすか?ということを意識し出します。これまでの仕事に加えて、新たな「自分の仕事」の方向性を模索するための3年間となりそうです。



 冒頭で紹介したパネルディスカッションの後にパネリストの方々と昼食を共にしたのですが、そこでなされた会話ででも、「知的障がい児の学びをどうアシストするか?、知的障がい児が障害がないと言われている子どもと一緒に学ぶ場をどうつくるか?」といった問いを頂戴いたしました。



 こんだけ、次から次へと「問い」をいただける環境に感謝しつつ、新たな一年を踏み出しました。どうぞ27歳の川中大輔もよろしくお願いします。



追伸

 お祝いのメッセージやプレゼントをお贈りいただいた皆さん、どうもありがとうございました!!