たましいの育つ歩み

kgebook.jpg 僕の母校・関西学院は1889年9月28日に創立されましたので、今日で創立118周年となります。何度もこのブログで書いていることですが、今になって思えば、自分という人間が形成される上で、関西学院に学んだということは、非常に大きかったと感じています。



 大学院の2年を過ごした立教大学ももちろん母校であり、好きな学校ではあるのですが、やはり多感な高校時代から7年間も過ごした関西学院が自分の母校と言うには適切かなと思っています。



 さて、関学は、創立120周年を前に小学校を来春設置するのですが、最近会った高等部からの友だちに「初等部教育をまとめた本が出てるでー」と教えてもらい、早速購入し読了。



 初代初等部長に就任される磯貝暁成先生の『関西学院初等部のめざすもの−見えないものに心を傾け、夢を育む学校』(関西学院大学出版会、2007年)という本になります。



 教育実践を想像できるような、具体性にはまだまだ欠ける内容で、そこは残念でしたが、理念的に「なぜ、今、関学は小学校をつくるのか?」という大きな問いに応える内容としては「大枠」は提示されていたかと思います。



 その中で自分が「あぁ、これは関学らしいな」と思ったのが以下の箇所でした。



 「今はあまりにも結論を急ぎ過ぎます。自分の「たましい」の叫びを自分自身で受けとめる時間が足りなくて、子どもたちはだたせかされる苛立ちに翻弄されている時代なのかもしれません。それならば、なおさら一人ひとりのやましいが静かに育ち出す小学生の時代から子どもと接しようと思いました。



 教育の使命とは、このたましいの育つ歩みと一緒に歩むことではないでしょうか。関西学院がいま新たに小学校を世に問うのは、一人ひとりに与えられているたましいの育つ歩みを取り戻したいと思うからです。(中略)



 たましいと対話をしなければなりません。小学校の時代こそたましいへの問いかけを感じることができるのです。」
(前掲書、pp.13-17)



 同志社小学校の掲げる「道草教育」とも通じるところがありますが、このキリスト教主義教育を本当に大事にしているところが、いかにもメソジストを源流に置いた関学だなと。「たましい」は一生涯通じて育っていくものでしょう。その一生涯、育ち続けられる基盤をしっかりと身につけられる学校であればいいでしょうね。



 新しい小学校では、どのようなリズムの時が流れ、コミュニケーションが起こっているのか、そして聴きあう文化が根付くのか、楽しみです。