すわる。だまる。かんがえる。

simogamo.jpg 仕事が山積みになっているのが少し気になりつつも、この週末は後輩と一緒に京都へ。お仕事ではなくプライベートです。



 京都観光をしたい!という声に応えて、京都在住経験者としてガイドを担当いたしました。といっても、今回はできれば自分も行ったことがないところに行きたい!と思っていたので、地理感覚をもとにどれくらい時間がかかるとか、どういう行き方があるのかとかを提示するくらいでしたが(笑)



 あちこち見て回りましたが、今回はポイントを多くまわるよりも、一つひとつのポイントを丁寧にまわるということで、お庭を拝見しているだけで1時間近くいた、というところも。今回、僕も初めて訪れた詩仙堂はそのポイントのひとつだったのですが、これがいやぁよかったです。



 最初は庭を見ながらあれこれ考えてしまうのですが、その内、ぼぉーっとする時間経由で(笑)、「無」になっていくのが体験できました。大学時代の日記では、再三、魂を鎮め、「大いなるもの」を感じ、向き合う瞑想や、内なる自分と対話をする内観の時間が必要だと書いてきました。人と話すことで何かが見える/開けることもありますが、沈思黙考することで見える/開けることもあります。その重要さを思い出しました。



 今の自分に課せられている使命は何か?、今の自分は何に恐れているのか?、今の自分は何を大切にしているのか?すべきなのか?…など、考えさせられました。やはりこういう時間、持つべきですね。



 ちなみに写真は下鴨神社。ここにも足を伸ばしました。今回撮った何枚かの写真で一番のお気に入りです(どーでもいいことですが)。