僕の勉強を促すもの

hon.jpg 4月以降、僕の机の上には、社会学関係の専門書がでーんと常に乗っかっています。昨年は仕事の忙しさにかまけて、専門書を読むスピードが落ちていましたが、今年はまずまずのペースで読んでいます。



 もちろん、別に暇になったのではありません(いや、むしろ忙しいか…)。



 今年から新しく担当している大学の科目で「教育社会学」があるのですが、これまで荒削りで学んできたことをもう一回、学び足して、講義内容を組み立てているためです。何となくはアタマに入っていたものを、間違って教えないようにと、本にあたるようにしているわけです。



 現在は、12日の講義で述べる「社会問題構築と社会構築主義」について、専門文献を読み直したり、読み足していっています。幾つか読んだ論集の中では、(僕がフェミニズム研究にも関心があることも背景にあり)上野千鶴子編『構築主義とは何か』(勁草書房、2001年)が理解しやすいものでした(ただし冒頭から「言語論的転回」といった学術用語がどんどん出てくるくらいのレベルではあります)。



 今になって、学部や院生の頃、何となくしか理解できていなかったことが分かることも多く、僕にとってもいい勉強になります。知と無知は、常にサイクルするものですね。きっと数年後、現在の僕は無理解であったと自省することでしょう。



 こうして緊張感ある中で勉強が進むのは良いことなのですが、ちょっと厄介なのは、そうして理解が深まると、「あぁあれも読まな、これも読まな」とどんどん読むべき本が明らかとなることです(苦笑)。あと、そうした本を本屋に探しにいくと、大量に(授業に無関係な)その他の本を買って帰ることになることもまた厄介なことで(汗)。