なぜ泣いちゃうんだろう?

 今日は僕の大切なBHの後輩(で仕事のパートナー)の一人である、一郎くんの結婚式/披露宴。ということで、朝から兵庫をたち、会場の鳥取へ。



 学生時代の一郎くんを知っているBH関係者からは信じられないとの言葉も出るほどに見事な晴れ姿で、新郎挨拶も本当に立派なものでした。いつも辛口の理事長ほか全員が大絶賛でしたし。



 鳥取での研修を通じて、お相手の方やそのご家族のみなさんとも交流を持たせてもらっていた僕としては、新婦のスピーチで思わず涙が流れるほど、本当に家族の愛情の大切さ/すばらしさを感じさせられる宴で、これからの一郎くんの家族もまた、すばらしいものになるであろうことを確信してきました。



 しっかし、ちょっと冷静になると、僕は一人っ子で妹も姉もいないし、(結婚もしてないので)もちろん子どももいないのに、なぜ新婦のスピーチで泣いてしまうのか、本当に不思議です。一体全体どこに感情が揺さぶられ、何に感情移入しているのか、よく分かりません。



 新婦のお父さんの涙にも、新婦の涙にも、自然ともらい泣きしてしまいました。それは、一緒に出席していたBHの同期にも言えることだったのですが、いやぁ不思議。



 体験したことがなくても、共感するということは、当然あることです。そうでなければ、カウンセリングは成立しません(ただし体験していないことで共感しきれないという類いのものもあると僕は思っています)。



 ただ、今日の席で自分が体験したことは、共感しようという自分の意志がないのにも関わらず、その場の磁力に吸引され、気がつけば共感の渦の中に存在していたということです。共感と「場」の関係性、奥深そうです。