北九州の空はなぜ青いか?

kitakyu.jpg 金曜日から日曜日まで、北九州に出張していました。金曜日の夜は、久々の「講演」。修士論文やその後の研究発表の機会にまとめたシティズンシップ教育について、みっちり話題提供してまいりました。



 様々な事例をひもときながら、市民としての意識を育んでから社会参加を促すのではなく、社会参加を促し、活動する中で市民としての意識を育むという戦略も重要であることなど、述べました。



 で、土曜日は講座を2本担当。内1本は、これまた久々の「NPO支援力」のトレーニング。ワークショップ中心の僕にとって講演はとっても緊張するものですが、ワークショップ系であっても久々のテーマはやはり緊張するものです。心地よい緊張感を味わせていただきました(笑)こういう機会、大切です。



 土曜日は講座終了後もヒアリング等々、夜まで何かと予定があったので、そのまま北九州に後泊。日曜日は、かねてより伺いたかった北九州市環境ミュージアムへ。



 同ミュージアムの運営やインタープリター育成などに友人/知人が何かと関わっていたからというのもありますが、何より、同ミュージアムがどのように北九州の公害を紹介しているのか、興味があったからです。



 北九州の公害について、きちんと知ったのは今回がはじめてだったのですが、「きちんと」知るにあたって、非常に充実した展示でありました。この日の北九州の空はすばらしい青空がのぞく夏の空模様。でも、そのような青空を、公害に苦しんでいた頃には想像できなかったことがよく分かります。



 産業発展の象徴のように言われた、各種工場の煙突から出る「七色の煙」が空を支配していた北九州が青空を取り戻したのは、煤塵公害に危機感を募らせた、地元の主婦や学校の先生方の運動の結果によるものです。



 今の市民活動の前史として、そのような公害と闘い、まちを変えてきた運動があること、そうした先人の方々の歴史の上に我々が立たせていただいているということ、よくよく噛み締めねばと思いました。



 私が今住む尼崎も公害問題が起こった町ですが、今や美しい青空を眺めることが可能です。この青空のために起こった運動に思いを馳せざるを得ません。



 (日本で聞かれる市民社会論は日本の社会の)歴史と切れているんですね。これは脆いのではないかと思います。きれいすぎる市民社会論なんです。



 これがたぶんNPOから入った人たちの持つ一つの弱点ではないかと思います。今の若い学生などもそうですが、NPOから入った人たちはNPOの前の歴史や活動、日本の社会にあったいろいろな動きをほとんど知らずに言っているので、糸の切れた凧のようにどこへでも行ってしまうようなところがあるのではないかと思います。




 中村陽一・村岡兼幸「市民社会を目指してーそのとき個人はどうあるべきか」、村岡兼幸・まちづくり市民財団編『NPO!? なんのため だれのため時事通信社、2007年、p.39(括弧は引用者による補い)