「なんか」禁止令

 最近、学生と接していて、気になりだしているのが、「なんか」という表現。「なんかすごい」「なんかおもろい」「なんか感じる」…と、自分の感情や思考を表現する時によく聞かれる「なんか」。



 もちろん、僕も使います。言語化しきれないもやもやや曖昧なものを表現する時に非常に便利な言葉ではあります。



 しかし、この言葉が多用されることには違和感を感じるわけです。「なんか」という言葉で発言することで、言っている側/聞いている側の両方が曖昧なまま、話を終えさせることが可能です。「なんかって何やねん!」とツッこむ風景も見られますが、こうしたツッコミは重要なことだと思います。



 私も含め、若い人々にあっては、「なんか」の中身を表現するボキャブラリーが足りないようです。自分の感情や思考を明確にきちんと相手に届けるための訓練が不足しているのでしょう。そうした表現力を磨くワークショップの開発/実施に少しチカラを注ぎたいなとぼんやり考えています。



 どこまでいっても完全に内なるものを表現しきることは難しいとは思いますが、もう少し「言葉」を豊かに持っても良いのではないでしょうか。