職種にこだわらない

 最近、「将来何になりたいの?」と聞かれることが(再び)多くなりました。仕事が変わったりする季節だからこそ、余計に気になることなのでしょう。



 そうした問いに対して、僕は「『何になりたいか?』よりも『何をしたいか?(何を成し遂げたいのか?)』が大事じゃないの?」って問い返すことが増えています。NPO職員であろうと、大学教員や大学職員であろうと、企業社員や公務員であろうと、何になろうとも、成し遂げたい/成し遂げるべきであると思うことができれば、問題はないはずです。



 僕の場合、(色々とやりたいことはありますが煎じ詰めて言えば)市民社会の担い手育成のためのワークショップ等の教育実践や市民組織の運営支援、ファシリテーターの育成ができれば、肩書きは何でもいいと思っています。



 よく「教員になりたいです」という学生に「教員になって何を成し遂げたいの?」と聴くようにしています。思いのほか、答えが冴えないことが多く、手段の目的化をまざまざと見せ付けられます。



 「何をしたいのか?」は、もちろん、既にこのブログでも再三書いてきたとおり、仕事をする中での自分との対話を通じて見えてきたり、変化したりするものです。だから、拙速に「(過去に立てた)したいこと」に拘泥するのは避けるべきですし、「何をしたいのか?」と悶々と悩み続けてフリーズするのは、望ましからざることです。



 要は、動きながらも、「何をしたいのか?」という問いを常に持ち続けることが大事なのです。答えは変わろうとも、その問いへの答えを常に考えることで、「次の仕事」や「次の職種」のデザインが進むと思っています。



 もちろん、職種によって、経済的/社会的なポジションは変わってくるものですから、「どういう生活を送りたいのか?」という問いとのクロスしたところに職種決定というのはあると思います。



 その意味では、経済的/社会的なポジションを気にかける必要性の比較的低い20代の内にあれこれとチャレンジして、自分と仕事との対話を増やし、自分の人生を賭しても成し遂げたいことが何か?ということへの答えを考えることが重要ではないかと、考えています。



 今年の年賀状のコピーは、「動き続けることの緊張感。」でした。このフレーズ、やはり大事です。