ハウスではなくホーム

 23日から26日にかけては、東日本を縦断するようなかたちで講座のお仕事を担当させていただきました。シチズンシップ共育企画のサイトでも報告していますとおり、どの講座も出会いも学びも豊かな非常に面白いものでした。



 そうして面白い日々を過ごさせていただいても、講座が連続すると、移動負担もあり、やはりカラダは疲れます(汗)。日々の講座を全力投球できるように、いつもより少し多く睡眠も栄養もとるように気をつけていても、どうしても疲労は蓄積してしまうもの。講座の質に影響は出ないようにしていますが、人間なので、疲れるのは致し方ありません。



 で、26日の深夜に京都の家に帰って、一晩寝て、27日の朝に少し驚いたことがあります。睡眠時間は日常と変わらないくらいの時間数なのに、ぐっと疲労は回復したのですね。



 やはり、「ホーム」だからというのがあるんでしょう。単なる家(ハウス)ではなく「ホーム」。アウェーのベッドの上ではなく、ホームのベッドの上の方が、いくらアウェーの方が高級でも、カラダに馴染みもあり、心的緊張も解きほぐされるのでしょう。



 そう考えると、ハウスレスとホームレスの違いが少し気になりました。ハウスは(0円ハウスであっても)何らかの形で「ホーム」をつくるために必要だけれども、マイ・ハウスがあるからといって自動的に「マイ・ホーム」にはならないのではないかなと。



 先般、講座の参加者で自殺予防の取組みをされている方にお話を伺う機会を得ました。自殺の最大の原因は「孤独」だそうなのですが、独り身の孤独よりも、家族がいるのにも関わらず孤独という「家族内孤独」の方が大きな問題だということでした(「にも関わらず」という部分が孤独を引き立たせると同時に心的緊張の解除できなさを現しています)。



 そこには「ホーム」となりきっていないハウスがあります。ハウスを「ホーム化する」ということ、とっても大事です。家族関係はもちろん、周囲の人間関係も含めた関係性の形成/維持/発展から、自分の居場所だと感じられるようなリラックスできる空間のデザインまで、様々なことが「ホーム化」には含まれるでしょう。



 さて、皆さんのハウスはすべての家族メンバーにとって、「ホーム」になっているでしょうか。また、この考えでは、友達など他人の家も「ホーム」となりえることを導出できますが、どれだけ「ホーム」があるでしょうか。



 そんなことを考えていました、心地よい疲れの余韻を味わいつつ…。