決断の余地

rinen.jpg 若い人は、年老いてしまった人よりも、人生を真面目に感じるものです。青年自身にはまだ決断の余地が残っているからであります。



 彼は、教育する意味のある、また豊かな可能性をもったものだと自分のことを感じるのです。自分から何が生まれてくるのかは、多くの部分は自分によっているのだと彼自身知っているのです。彼は、日々の生き方が、一刻一刻が、そして自分の魂の内的な衝動が大切であることを感じるのです。



 若い人は、ある師匠への服従においてであれ、自己教育においてであれ、同じような努力を重ねている人との戦いながらの、また愛しながらの交わりにおいてであれ、教育されることを欲しているのです。
カール・ヤスパース大学の理念』福井一光訳、理想社、1999年、p.66)



 現在、職場である研究報告書を執筆しています(…久々に論文調の文章を書いています)。その関係で読んだ本の一節が上のもの。研究報告書では別の箇所を参照したのですが、この箇所も気にいったので抜書きしておきました。



 僕は今の大学3回生に仲の良い後輩が多いのですが、みんな就職活動の中で、自分と向き合っては、自分を掴みきれず、将来の進路選択で迷い悩み、もがき苦しんでいます。



 迷うべき時には目一杯迷うことが良いと僕は思っているので、そうした後輩と話していても、「深み」に達するよう、どんどん「問い」をかぶせています。同時に、問うた自分にも同じ「問い」をぶつけ、「お前はどうなんだ?」と自省したりもしています。



 それだけ、迷ったり、悩んだり、考えたりできるのも、ヤスパースの言うように「決断の余地」が十分に残っているからに他なりません。



 どのような決断をするのか、また過去の決断を修正/活用していくのか。そのために、どのような可能性を自分で掘り起こすべきなのか。自らに問い続けたいものです。