エネルギーのやりとり

 先日、2月の予定をくっていて、恐ろしい事実に気がつきました。なんと、オフ日が一日もありません。。職場で働いているか、さもなくば、全国のあちこちにお邪魔して、ワークショップをしているか。どちらかです。最近のお仕事については、シチズンシップ共育企画のサイトをご覧ください。



 ファシリテーターとして、方々からご依頼をいただけていること、これは素直に嬉しい限りです。自分がお役に立てることだけでなく、その集まりで私は多くの人と出会い、話をし、学ぶことができるということも含めて、嬉しく思います。



 多分、これが「講演」の連続であれば、いくらお役に立てていると実感できても、僕は疲弊してしまうことでしょう。教える側/学ぶ側という二分法を越えられ、ある時は教える側、ある時は学ぶ側、とその場にいるメンバーが入れ替わり続けられるからこそ、ワークショップの連続を楽しめるわけです。



 ハーバーマスは次のように言っています。



 啓蒙する者がまだ啓蒙されていない者に優越していると自負することは避けがたいことであるが、それは同時に擬制なのであり、いつも自己訂正を必要とする。啓蒙の過程に居合わせている者は、敵味方のいずれか一方ではなく、ただ当事者のみなのである。(ユルゲン・ハーバーマス『理論と実践−社会哲学論集未来社、1975年、p.621)



 まさに、ワークショップの場は「ただ当事者のみ」の場だと言えるでしょう。僕自身、何度も「ハッ」とさせられることがあるものです。



 そういえば、今回担当した研修に参加してくれた学生の方が「川中の研修にヒントを得て、ワークショップ形式で内部の研修のプランを立ててみました!」と言って、僕にプランを見て欲しいと持って来ました。



 色々と悩み考えた痕跡があるプランでした。「はじめての研修」にしては、練られていたもので感心。組み立て方が荒削りだった部分は「こうじゃないかな?」とやり取りしながら、一緒に作り直しましたが、ワークの内容は僕も参考になるものがあり、「なるほどぉ〜」と思いました。



 こうした「やり取り」があるから、明日の仕事もやろう!という気になります。「双方向な学び」というのは、エネルギーの双方向的なやりとりも内包しているものなのでしょう。