死んだからこそ発されるメッセージ
インターン生の寺尾くん(おっちょ)がすすめてくれた、映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』をDVDで鑑賞しました。
ベトナム・カンボジアで戦争写真を撮り、戦地にて命を落とした戦争カメラマン・一ノ瀬泰造さん(タイゾー)をモチーフに浅野忠信が好演している映画です。
おっちょがこの映画を見て、これからの生き方を考えた、と言っていたのですが、確かにインパクトの強い映画でした。
一晩おいて、なぜタイゾーが戦地で写真をとっていたのか、なぜ単身でクメール・ルージュの拠点に突入したのか、何がそこまで彼を突き動かしていたのか…とふと考えるのですが、彼の歩みに、そうした「理性的な問い」を立てるべきではない、ということを映画が示していたように思いました。
恐らく明確な理由などなく、そこにあったのは表現者としての欲望であり、「被写体があるのだから、ただただ撮りたい」、その一心であったのではなかったかと。
そこまで人を突き動かす欲望、それを現代日本の若者である僕らがもてているのか。この問いこそ、僕らは受け取るメッセージなのでしょう。
死んだからこそ発されたメッセージ、それをどう受け止めるか。
タイゾーが命を落とした年齢を、いま自分が生きているということを考えると、「あぁ、やばいなぁ」と、ぼんやりと思います。
おっちょ、いい映画を教えてくれて、ありがとう。