ファシリテーションと誘導

 今日の夜は学びのデザイン研究会でした。4月から開始して今回が今年最後の回で数えるに9回目となります。この日の全体的な内容については、シチズンシップ共育企画のウェブサイトにて報告しておりますので、ご参照ください。



 今回、僕がひっかかった言葉は、「誘導されてもイヤじゃない」というもの。ファシリテーターがそのポジションを活かして、「参加型」を装いつつ、参加者を誘導することは良くないこととされています。



 この日の議論は「誘導」と向き合う2時間だったのですが、終盤に学生さんから発せられたのが、上の言葉でした。「いいゴールに到達できるのであれば、ナビゲートもして欲しい」という思いからのものです。



 その発言の気持ちもよく分かります。「やきもきする」ことは、余り居心地もよくありませんし、スッキリしません。であれば…ということでしょう。



 僕はコミュニケーションだったり、マネジメントだったりの「トレーニング」系の講座や研修でのファシリテーションを仕事にしていますが、トレーニングの場では特に「誘導して欲しい」という参加者の気持ちと出会うことが多いものです。



 そうした思いにどのように応えるか、或いは、敢えて応えないか。いつも事前の準備で考えさせられます。



 敢えて応えないことで、自分で本気で考えることにつながったり、主体性を回復していくことにつながることがあります。でも、そのためには、時間をかけて、じっくりと参加者と向き合う必要があります。短時間の場合は、簡単にいきません。



 答えがばちっと出ているわけではないのですが、「誘導」という言葉に含まれている行為は、「ゆさぶり」「方向付け」「提案」「あからさまな誘導」「ひそかな誘導」…といったように少し区分けし、加えてその選択/提示の仕方について、丁寧に考えていく必要があるのではないかと思っています。



 ファシリテーション大流行中ですが、深く考えていくと、そう簡単にもてはやされ、流行するものではないように思います。もちろん、ファシリテーションの文化は広まって欲しいのですが…。