甘え上手になる教育

 この日の夜は、京都市ユースサービス協会主催の「わかもの」による「わかもの」のためのミーティングの「身体や精神の病理的な『依存』について」という回に出席しました。



 精神保健福祉の現場で活動されている方からのお話を伺って、ディスカッションするという内容だったのですが、印象的だったのは、「甘え上手になろう」という話でした。



 この日の話のごくごく一部ですが、部分的にかいつまむとこうなります。



 人は様々な依存をしながら、生きていますが、問題はその依存が特定の一つのものになり、その一つの依存が生活の全てになり、生活を傾けてしまうこと。



 なので、依存するものを分散させたり、依存する自分を客観的に捉えられていることができれば、「甘え上手」で、そのようにして精神的なバランスを保てれていれば、病理的な依存には展開しない。




 …もちろん、社会学的に言えば、何をもって「病理的」とするのか、そのライン引きの作業に潜むポリティクスやダイナミックスについて気にはなるところですが、ここではその作業は一旦留め置きましょう。



 「甘える」にせよ「頼る」にせよ、確かにうまい人はいると思います。僕自身の「甘えの行為」がどこまでバランスとれたものかは、怪しい限りですが、バランスを崩した「甘えの行為」は、「甘えられるもの・ひと」にとってもいい迷惑なわけで、気をつけないとあきません。



 よく考えれば、教育の場面では、「いかに甘えないか/頼らないか」ということが教えられることが多いですが、「どのように甘えるのか/頼るのか」についても学ぶ機会が必要なのでしょうね。