「いま」はどういう時か
最近、友人知人や後輩が、人生の選択をしており、身の回りで離転職、起業や業種変更など、「動き」が活発です。昨晩も後輩が退職したことを報告しに、わざわざ京都に来てくれました。
自分の人生設計についても考えさせられる日々です。そんな中、今朝、旧約聖書の一節を思い出しました。
天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。
(伝道の書3:1-8、11)
では、いま、私は何をすべき時なのか。瞑想した方が良さそうです。