「ファシリテーターは司会者ではない」

manaken0610.jpg この日の夜はシチズンシップ共育企画のサイトでも報告しましたとおり、学びのデザイン研究会でした。テーマは、Tグループにおけるファシリテーション



 この日、印象に残ったのは、タイトルにある「ファシリテーターは司会者ではありません」と宣言してセッションが始まるというところでした。



 Tグループにおけるファシリテーターの役割は、参加者自身がその場で起こるグループプロセスを観察し(合い)、介入できる(し合える)ように支援していくというものです。つまり、参加者全員がファシリテイティブになるということです。



 この方がグループとしての成熟はしている、そのことは誰の目にも明らかでしょう。



 しかし、これは当然、簡単なことではありません。Tグループのファシリテーションは、非常に高度です。「グループのニーズに応じて」が大前提ですが、ファシリテーターの視点がどういうものかを気づけるような介入を行ない、また、学習に望ましい規範の形成を支援することが求められます。



 私自身、常日頃のファシリテーションで「ファシリテーター依存」にならないように、よくよく留意していますが、Tグループほど明確にその意図を前面化したセッションを行なうことは(自分が取り扱っているテーマ的なところや、時間的な制約もあって)珍しいことです。



 Tグループの話を聞きながら、「司会者」を占有しないことの大切さを再確認しました(自分は04年にTグループに参加したことがあります)。



 ファシリテーターを一握りの人間しかできない高度専門職とするのではなく、多くの人がファシリテーターとなれるようにする。容易ならざることですが、私もそれを目指したいものです。



 今回の研究会も学びの多い会でした。