語る力

 明日自分が1セッション担当することになっているセミナーの雰囲気をつかむために、前日のプログラムを覗きに行きました(自宅徒歩5分の場所が会場)。



 学生ボランティア・コーディネーターのスキルアップを目的とするセミナーだったのですが、本当に楽しそうに、盛り上がっていて、ホッと一安堵。「これなら準備したプログラムで問題なくできる」という確信を得たので、夜のプログラム終了後、すぐには家に帰らず、交流会にも参加しました。



 結局、自宅に帰ったのは未明の3時30分だったのですが(!)、まぁ若い集団の交流会は概して時間の観念がないものでしょう。



 その時に少し現役学生の子にも言ったのですが、「語ることができる力」をどれだけ持っているのか、というのは大事だなと思いました。



 「お喋りを円滑にする能力」ではなく、「熱く語る力」。それは能力のある/なしというよりも、欲望のある/なしに左右されるものだと思います。



 自分の思いを語る、相手の思いを受けて語り返す、先輩が後輩に経験を語る…、そうした「語り」が、交流の場面でどれだけ展開されているのかで、その意味の密度はぐっと変わってきます。



 「語る力」は、語りたいという欲望(思い入れ)が生成されるだけの体験があって始めて得られるものでしょう。真剣になれるだけの「でっかい体験」の機会をデザインし、その機会への深い参加をそそのかす。「語る」ことに加えて、こうした体験機会のデザインと提供も「先輩」の仕事なのでしょう。



 ちなみに、翌日に自分が担当したセッション(「面接力を磨くロールプレイ」)については、シチズンシップ共育企画のサイトにて報告しています。