参考文献はどこだ?

 気がつけば7月も下旬へ突入。職場では毎年恒例の前期科目レポートの提出が増えてきました。



 別に自分が担当している科目のレポートを取り扱っているわけではないので、事務的に淡々と受け付けるだけなのですが、ちょこっと中を確認したりするときもあります。



 で、今日思ったのが、参考文献がないレポートの多さ。あっても、ウェブページのURLが2〜3載っているくらいだったり…。



 参考文献リストという概念がなく、文献は読んでいるけど、単に表記していないのか(→でもこれは盗作です)、それとも、そもそも参考文献という概念がないのか(つまり文献を読んでいない)、どっちか分かりませんが、いずれにせよ、「うむむ…」と少し考えさせられます。



 レポートは自分の考えをつらつらと書き並べる(このブログのような)思索メモではありません。理論やデータなどを使いながら、自分の考えを論拠を明らかにしながら、論理的に筋道を立てて提示し、読み手に「ふむふむ」と納得と理解を生ませるためのものです。



 だからこそ、他者の理論やデータを参考文献からひいて、自らの意見を補強したり、或いは、自分の意見を際立たせるために、他者の理論やデータの問題点を指摘したりするわけです。(社会人の皆さんからは、「そんなん、あったりまえやん!」とか突っ込まれそうですが、学生にはどうも伝わってなさそうです)



 その意味では、自分で実験でもしていれば、参考文献が一つもなくても理解できます。どういった学問的なアプローチをとるかで、参考文献の取扱いには、大きな差が出ることは当然のこです。



 しかし、その手前の「そもそも」論が抜けて落ちているように思えて成りません。学生は「なぜレポートを書くのか?」という部分が見えていないのではないでしょうか。



 昨年、学生グループにレポートの書き方を指導した際に、以下の通り、レポートの目的を整理してみました。



 「講義中心の授業のレポートの目的とは、授業を通じ学んだ理論や概念を理解し、それらを使いこなした上で、自らの考えを論理的に伝える思考力と表現力を鍛え、試すためである。



 フィールドワーク中心の授業のレポートの目的は、現場に埋め込まれた知恵を発見し、そこから新たな理論や概念を生成する力を鍛え、試すためである。また、現場が直面している問題現象を引き起こしている課題を明らかとし、解決策をデザインする問題発見/解決力を鍛え、試すためという側面もある。




 レポートは「自分の考え」をまとめるものであるという点においては、講義型もフィールドワーク型も同じですから、文献や観察データをきれいに整理しただけでは、レポートになりません。



 至極当然のことなのですが、何も参考文献を読めばいいというわけではなく、「自分の考え」を軸にしつつ、参考文献にある理論やデータを活用することが大切だということです。その「自分の考え」を研ぎ澄ますのが、授業での講義やフィールドワークであったはずです。



 前期を締めくくるレポートをお書き中の学生のみなさん、ぜひ今一度「なぜレポートを書くのか?」「私のレポートは、本当にレポートなのか?」と問い、多くの理論やデータと向き合ったレポートをおまとめください。そうした骨太なレポートをまとめることは、表現力の拡大に必ずつながってくるものですし。



 なお、「レポートの書き方」もそうですが、初年次教育のテキストや取組みがここ数年、非常に盛んになってきています。その中、次の本はコンパクトによくまとまっており、オススメです。



 専修大学出版企画委員会編 (2006) 『知のツールボックス−新入生援助集専修大学出版局



 …とまぁ色々と書きましたが、学生のみなさん、まずは小説や随筆ではなく、専門書を読み始めましょうね。そこからでも始めましょう。