課題を解決するパートナーとしてのインターン

 昨日・今日と、財団インターンシップの出願受付がありました。私も何人かの学生さんの面接を担当いたしました。雨の中、多くの学生さんが来てくださったことに、感謝いたします。ありがとうございました。



 で、実際の面接ですが、私の場合、「将来の展望」を聴き、その後、「将来のありたい自分」から見て、「現在の自分」が足りていないものは何かを問い、その不足しているものを、どのように補っていくのか?という流れを原則として、質問を展開しました(もちろん、一人ひとりへの質問は違いますし、これだけというわけではありません)。



 この応答の流れの中で、(●●という仕事ができる)「A社」でインターンシップをすることの必然性が感じられるかどうかを、私は面接で見ていたのでした。現在を未来と過去を架橋するための時間として豊かに用いていくことが、キャリア形成の視点からは特に求められますから。



 もちろん、そうした構造的関心ではない、状況的関心からのエントリーも否定されるわけではありません。ただし、その場合、できるだけ長期間にわたって現場に入り込むこと、相当な積極性、高い感受性が必要となると考えています。この辺、面接では分かりにくいところで、ちょっと見極めるのに苦労しましたね。



 時間をかけて、じっくりと向き合えれば良いのでしょうが、短時間でさばいていく必要があり、質問攻めにしたので、学生さんには、厳しい面接員のように思われたかもしれません。





 ちなみに、「あなたは、受入先にどういう貢献ができるか?」という質問もしていました。学生さんからは、「成長したい」「勉強したい」「体験してみたい」…と言う言葉はうんと聞きましたが、受入先からすれば、それでは提供してばっかりになります。インターンシップを通じて、受入先の課題を解決していくことに貢献していく気概と準備がなければ、インターンシップで得られるものは、ぐんと減ります。



 課題を解決するパートナーになるからこそ、アルバイトではなく、「無給の非常勤職員」たるインターンシップなのです。「お仕事体験」をインターンシップで提供するフェーズは、もう過去のものにしなければならない、そう私は考えています。





 なお、この二日間で、いやとなるほど聞いた言葉が「コミュニケーション能力」という言葉。みんな、とっても気にしていて、色々工夫している割に、全然自分のコミュニケーション能力に自信を持てていないようでした。コミュニケーション能力の具体イメージも、「うまくプレゼンできること」のレベルで、(言葉は悪いですが)ちょっと貧困な気もしました。



 「コミュニケーション能力」が大切であることは、確かにそうです。しかし、もっとメタ・スキルに注目した方がいいような気がします。私は他者とどう関わるのかという、「関わりの哲学」なくして、プレゼンなどの表面的なスキルを磨いても、豊かな人間関係は発展しないわけですし。。加藤さんの『市民の日本語』を読むべし、であります。