"ことば"が熟さない

 昨晩は仕事を終えてから、京都でI佐くんの入隊祝の飲み会へ。僕が大学1年、彼が高校1年の時に出会って以来、文字通り「紆余曲折」がありましたが、ひとまず、社会に出ることになり、良かったなぁと思います。二次会は我が家でまったりと行われ、眠りについたのは、4時過ぎでした。



 今日は、その飲み会の寝不足のおかげで、気合が入りにくい一日でしたが、(休日ということで)かねてより計画していた映画鑑賞へ。重松清原作・SABU監督の『疾走』がそのお目当て。



 余り予習をせずに観たので、もう少し明るい青春ものかと思いきや、とても重く辛い青春ものでした。人は、なぜ「生きる/死ぬ」のか、運命って何なのか…と、色んな問いを突きつけられました。



 鑑賞後は、もやもやした、「やるせない」気持ちになり、気がつけば、帰路を走っていました(走るのが嫌いな僕としては非常に珍しい行為)。感覚的で恐縮ですが、本当に走ったり、叫びたくなったりしました。



 一体、自分の心のどこに響いて、そういう行為を発露させたのかを明らかにするために、少し時間をかけて消化しきりたいなと思います。こういう衝動に駆られるのは、きわめて珍しいことなので。(原作も読んでみることにします)



 拙速に言語化せずに、「言語化できない」という事実を受け止め、"ことば"が熟すのを待つ、というのも大切なことだと思っています。というわけで、こんなブログ記事でスイマセン。。



 余談ながらに、ここ7年ほどは小説を読まずにきたのですが、先日、ひょんな経緯で『野ブタ。をプロデュース』を読むことになり、小説のおもしろさを再発見していっています。