若者の課題とユースサービス

 今晩は、京都市ユースサービス協会の企画委員会がありました。今日は、私自身の活動を紹介しながら、活動を通じて見えてきている「若者の課題とユースサービス」について話題提供をしないといけないということで(輪番担当)、午後はせっせと発表資料づくりにいそしみました。



 しかし、「若者の課題」とは何か、という問いと向き合えば向き合うほど、袋小路に入り込んでしまい、非常にまとまりの悪い発表資料となってしまいました。「課題は羅列してあるが、対策が見えない。」という、何とも出来の悪いプレゼンをしてしまい、申し訳なかったと思います。。 昨年11月の渡英時に仕入れた英国ユースワークの話題で、何とか助けられました。



 本日は、もうお一人、斎藤さん立命館大学助教授)からも「若者のセクシュアル・ヘルスを取り巻く現状」について話題提供がありました。この発表は私の発表と違い、実に洗練されたもので、色々と考えさせられるものでした。



 発表では、様々統計的データを手掛かりに、セクシュアル・ヘルスの現状が示されました。それ自体も興味深いものではあったのですが、寧ろそこで示される現象そのものではなく、その現象を惹起している現代若者のコミュニケーションの問題に接近すると、何かおもしろいことが他にも浮かび上りそうでした。



 例えば、コンドームについての認知は広がり、入手もしやすくなっている中、出荷量は年々下がっていっており、それに反比例するかたちで、性病感染者が増加していることを示しているデータがありましたが、これ一つとっても「何か」が見えてきそうでしょ。



 ほんと色々なデータがあったので、書き出すと霧がないのですが、斎藤さんの指摘でなるほど〜と思ったのは、セクシュアル・ヘルスの問題が、決して「若者の問題」ではない、ということでした。



 考えてみれば、至極当然のことですが、「大人」になっても、セクシュアル・ヘルスの観点で、うまく関係性をつくれていないカップルや夫婦は多くいるわけです。 もちろん、若者特有のニーズもあり、そこにユースサービスが関係してくるわけですが、異世代とも「共通する問題」として受け止めることで、教条的な議論への隘路を防げますよね。



 若者が「社会問題の根源」なのではなく、若者を巡る問題は「社会」がもたらしているものだ(=若者にだけ限られる問題は少ない)という観点、継続して持ち続けたいものです。



 いやぁ、今日はユースサービスについて、じっくりと考えることができた一日でした。