学界という世界

 22日は午前中、大学院時代の友人や先輩と一緒に考えているある企画の打合せを行った後、メンバーとの語らいの時を持ちました。で、23日は、日本社会学会大会へ参加。両日とも、自分の勉強不足と研究取組みへの怠惰さを痛感。学会で(無謀にも)参加した理論研究の分科会では、理解するのが精一杯で、議論を現実/現場にひきつけて問いを出すところには、全く至れずでした(汗)



 どうしても「時間がない」と言い訳をしてしまいそうになりますが、僕よりも忙しい院時代の友人は論文収集をかなりこまめにできているわけで、きちんと研究時間もビルトインした生活を送らないといけませんね。



 ちなみに、日本社会学会大会のシンポジウムの一つでは、公共社会学(public sociology)というアメリ社会学会(ASA)発の新しい概念の紹介がなされました。公共社会学の提唱者であるBurawoyの議論を、報告要旨で長谷川先生(東北大学)は以下のようにまとめ、紹介しています。



 社会学の価値規範を「市民社会の防衛」と明示し、<公共社会学>は<市民と対話する社会学>と定義されている。既成の「専門的な社会学」の自己閉塞性と、クライアント追従的な「政策的な社会学」の道具性を批判し、既存の「批判社会学」の限界を乗りこえる、社会学の新しいあり方が<公共社会学>である。(長谷川公一「リベラリズムの危機と<公共社会学>の可能性」、『第78回日本社会学会大会報告要旨』、2005年、p.333)

 

 これは、まさに社会デザイン学が志向している方向性と重なるものです。社会デザイン学とは何かを考え、そして構想していく際に、公共社会学の構想動向とうまく共振できればと思います。いやぁ、ええ勉強になりました。