編集に潜む意図

 去る9月24日(土)の産経新聞・朝刊13面(全国紙版)に、先日パネリスト出演した、学生ボランティア国際大会でのパネルディスカッションの記事が掲載されました。非常に大きく取り上げていただきました。ご覧になられた方からは、早速反応もいただきました。恐縮の限りです。



 ただ、今回の採録にあたっては、発言者校正を経た原稿ではなく、それを再編集したものが掲載されました。その過程において、私の発言箇所で、趣旨の誤解を招きかねない原稿になってしまうなど、少しばかり残念な結果が出てしまいました。



 以下に、私が特に残念に思った修正発言箇所を二箇所、修正した原稿と実際に掲載された原稿を読み比べていただけるよう、併記しておきます。



 なお、担当者の方は非常に丁寧な方でしたし、その方を責める気は毛頭ありません。様々な背景があってのことです。



 ただ、皆さんにわかって欲しいのは私の発言の真意もそうなのですが、(メディア・リテラシーを学んだ方には当たり前すぎる)メディアが「編集」をするということが、一体どういうことなのかをお分かりいただくためです。



 こうした振る舞いは大人気ないものに他なりません。メディアに出る、ということは、こうしたリスクを引き受ける覚悟がなくてはならないのも確かです。しかし、折角ブログというオルタナティブ・メディアもあることですし、小さく「悪あがき」でもしておこうかなと。





私が修正した原稿(1)

 「私はボランティアの捉え方で二度の変化がありました。最初は他人のために滅私奉公しているというイメージから「自己実現のためのボランティア」へという変化です。自分が楽しく生きるためのボランティアもあるんだと気付きました。しかし、活動を通じ、決して自分のためだけにやっているものではなく、サービスの受け手も含めた意味で、自分の住んでいる社会を良くしていく活動であるという認識に変わりました。」



実際に掲載された原稿(1)

 「私も最初は他人のために滅私奉公していると思っていましたが、「自己実現のためのボランティア」という意識に変化しました。自分が楽しく生きるためのボランティアもあると気付きました。今では自分の住んでいる社会を良くする活動だと認識しています。」



自己実現のためのボランティア「のみ」ではいけない、ということを、当日のディスカッションでも強調したのにも関わらず、その点は一切表現されませんでした。





私が修正した原稿(2)

 「学生時代はチャレンジをしながら、自分づくりをしている時期です。自分づくりの中でボランティア活動にチャレンジすることで、自分が社会づくりに関われることに気付けます。」



実際に掲載された原稿(2)

 「学生の間は”自分づくり”する期間です。そこでボランティア活動に携わることは、社会にかかわることのできるチャンスです。」



→文字にすると明らかとなってしまう、論理の飛躍が起きてしまいました。





 言うまでもありませんが、大切なことは、メディアが編集することを批判するだけではなく、そこで行われる編集の意図や編集を左右するポリティクスを読み解いていくことです。そして、容易ならざる道ではありますが、読み解きを踏まえた上で、あるべき編集とはどういうものかを構想していくことです。