税金を払うに見合う公的サービス

 先日、フィンランドの教育政策/福祉政策について取り上げられているテレビ番組を観ました。そこで、フィンランドのヴァンハネン首相が次のように述べていたのが、印象的でした。



 「(税金が高いことについて国民は)いつも不満を言っています。でも、政治的な問題にはなりません。フィンランドの公的サービスの充実ぶりは、世界に誇るべきものです。税金をいただくに見合うことはしているのです。」



 翻ってわが国において、税金に見合う公的サービスは実現しているでしょうか。現在、「小さな政府」の路線の中で、公的サービスは大きな変化を遂げていっています。「政府の補完をする民」から「民を補完する政府」へと転換していくことは、市民が参画できる公共性の範囲が広がっていくという点で悪くはないでしょう。もちろん、現在、提示されている「民」が、もっぱら「市場」を意味し、「市民社会」を余り意味していない点には要注意であり、我々はその逆機能に敏感であるべきです(→市場の評価は、基本的に短期的に成果が出るものにしか向かないという問題など)。



 まぁ、何はともあれ、公的サービスの変化それ自体は悪いことではありません。しかし、今後、増税が必須の情勢の中で、増していく税負担に(量的にではなく質的に)見合う、新たな公的サービスの方向性を政府が提示できているかといえば、疑問符をつけざるを得ません。



 私は、市民社会のポテンシャルを高く評価し、NPO/NGOの動きに関わり続けていますが、全ての公的サービスを市民「のみ」によって担えるとは思っていません。政府には政府にしか果たせない役割が、社会に存在しています。その役割を放棄しては、社会は荒廃していくでしょう。



 私たちは、これから税金を今までよりも多く払う時代を迎えます。税金を多く払うのに、公的サービスが量的にも質的にも低下していくというということがないよう、公的サービスのあり方について、市民が常に目をむけ、時に提案をしていくことが望まれます。



 新たな公的サービスデザインの基軸となるのが、何を「分配」し、どういった「平等」を実現するのか、ということになるでしょう。この議論を市民レベルでしていくのは当然ですが、やはり国会から聞こえてくることを期待したいものです。