社会デザインにおける「善さ」の位置

 本日は、卒業以来初めて、立教大学へ。21世紀社会デザイン研究科院生による勉強会に参加するためでありました(わざわざ僕の上京にあわせての開催をアレンジしてくださったYさんにお礼申し上げます)。



 与えられたテーマは、「ソーシャルデザイナーに求められる倫理観・価値観・スピリット」。どういう発表にしようか悩んだ結果、「監視社会批判への批判」から具体的に社会デザインにおける価値デザインの問題を導出しながら、社会デザインの議論/実践における倫理や「善さ」の位置についての整理や検討を行ってみました。(レジュメ「社会デザインにおける『善さ』の位置」*PDFファイル)



 まだまだ粗っぽい議論なので、突っ込みどころは満載ですが、思索を始めるにいい機会でした(発表はしませんでしたが、ハーバーマス理論と現代の倫理問題についても思索を行えましたし)。



 で、そんな私の発表の他にも、現役院生や修了生の方の発表もあったのですが、全てを踏まえたディスカッションをしていると、次々と向き合っていくべき問題が浮かび上がっていきました。



 そうした複数の問題を包括的にまとめれば、次の二つの問いに収斂されるかと思います。社会デザインをするものが、何を弁えておくべきなのか。弁えるべき価値観を弁えない社会デザインは「すべての人にとって」どういう重大な問題をもたらすのか。いずれもぱっとすぐにまとまった答えが出せませんが、継続して考えていきたいものです。

11goukan.jpg ちなみに、今年の4月から、独立研究科(21世紀社会デザイン研究科もその一つ)は新設の法務研究科と共に、新たな11号館(右の写真)という建物に移ったのですが、建物に入った時に、あからさまに「新築ビル」のにおいが…。

 あぁ、僕もこんな綺麗な校舎を利用したかったなぁ〜 きっとこんな綺麗な建物なら、もっと真面目に大学院に来ていたに違いない!?