大学で学ぶ意味は見いだせるか?

「大学での授業なんか意味あるん?」
 学生の方からよく問われます。自らのする行為に意味があるのかないのか。それは自分が見いだすもので、他人から教えてもらうものではありません。これからの人生に意味があるのかないのか。それは誰にも分かりません。なぜなら、あなたがどのような人生を歩むのか、あなた自身を含めて誰にも分からないのですから。今そのことを学ぶ意味があるのかないのか。それはすぐに判断できるものではありません。後年になってじわぁ〜と効いてくる学びもあります。私自身、今になって、意味が分かることや効用を感じる大学での学びがあります(同時にまだ見いだせていないものもあります)。

 しかし、だからといって、「とりあえず大学で勉強しろ」というのは、いささか酷なような気もします。全ての意味は見いだせないとしても、少しは学ぶ意味が感じられる、あるいは、学ぶ意味がありそうだ、という期待値を育み得る機会は提供したい。そのように私は思っています。

「大学での授業なんか意味あるん?」
 その疑問が浮かぶのであれば、思い切って大学の外の「現場」に踏み込んで、現場の課題解決に自らを投じて、大学と現場を往還しながら、学ぶ意味を探ってみてはどうでしょうか。私も学生時代に学外でのボランティア活動をすることで、現場で「問い」が立ち、その「問い」を大学で育むといった往還が起こったり、また、体験学習を始めとする多様な学びのスタイルに気づくことで、「大学ならでは」の学びの価値も見いだしていきました。

 現在多くの大学は、大学の中での学びと大学の外での活動をつなぎあわせる機会を何らかの形で用意していることがトレンドです。新学期、学生のみなさん一人ひとりがそうした環境を活用されて、地域社会への「参加」の一歩を踏み出されることにエールを送りたいと思います。