旧友との「近況報告」のしかた

 4月に入った、と思ったら、もう5月。本当に月日の流れる早さに驚きます。こう書くと仕事尽くしのように思われがちですが、毎年4月〜5月といえば、花見やGW(そしてここ数年は結婚式)など、旧友と久々に会う機会に恵まれます。


 そうして久々に会ったときに、必ずなされる質問が「最近何してるの?」。僕もよくします。しかし、この質問は久々に会う友達に投げかけるには、イマイチだと思っています。大学までのように共有しているコンテクストが多い間柄と違い、いわゆる社会人になると、「何をしているのか」を軽く聴いただけでは、実のところリアルな像が頭の中で結ばれず、「よくわからへんな」という感じの方が先立ちがちです。


 学生の頃は、学部や学校が同じ仲間とつるむことが多く、コンテクストの共有度の高い関係でコミュニケートしています。たとえ学部や学校が違っても、狭い年齢幅でメンバーが構成されがちな上(僕の通った大学院は全く違いますが)、基本的な生活様式や生活リズムは容易に類型化できるほど、小さな差異なので、「何をしているのか」を共有しても、コンテクストへの理解も比較的容易で、リアリティが形成されやすいものです。


 ところが、大学を卒業して、別々のところで働き出すと、一気にコンテクストの共有度合いが下がります。言うまでもなく業種は多様な上、会社や業界ごとに仕事の仕方も環境も全く異なり、違う業界で働き出せば、仕事でつきあっている人がどこかでつながって「共通の知人」となることは珍しいことになります。そんな中で「何をしているのか」を聞いても、大枠でしか理解できないのです。もちろん、想像力を働かせ、自らの体験や見聞から「なんとなく」のレベルでリアルさを保てますが、曖昧さ故にミスリードも多くなります。(自分が話し手となっている場合、NPOで、しかもファシリテーターという、なかなかレアな仕事をしている人の話になるので、大学までの友人にはなかなかリアルには想像しにくいでしょう)


 例えば、よくあることですが、友人から上司の愚痴を聞かされた際、「うーん、自分のところでも似た人がいたかなぁ…」と思いながら、発話内容を理解したり、耳を傾けるものの、どこまでいっても、相手の話している上司の顔つきも仕事ぶりも相手と上司の関係性もよくわからないわけです。「むかついている」という気持ちだけは伝わってくるので、その気持ちへの共感はできますが、聞いている私には「わからないなぁ」という気持ちが堆積してしまいます。だからといって、発話内容のコンテクストの仔細について、探索的な質問ばかりしていては、久々の再会は些末な話でみたされ、お酒がおいしくなくなります。


 というわけで「何をしているのか」ということの共有は案外さっさと終わり、共有しやすいものとして、ノスタルジックな昔話かライフステージの変化に伴うライフイベント(結婚や出産、住宅購入等)にまつわる会話に移行し、それが主題になります。ただ、これもあまり繰り返されると、「飽き」がきます。もちろん、定番トークをしながらも、「それぞれが元気にしているな」ということを分かち合いながら、共に集まれる喜びを分かち合うというのは、それはそれでもかまいません。ただ、30歳くらいまでは結婚や出産(時に離婚)といった定番トークのネタに事欠かないものの、それ以降はネタも不足気味になるのではないかと感じ始めています(ただいま29歳)。


 では、どうすればいいのか。「何をしているのか」ではなく「何を考えているのか」を聞くことで、やりとりに変化が起きるのではないかと、いま考えています(あくまで一案)。「考えていること」にそって、体験を編集してもらえば、元になっている体験のは仔細にわからなくても、その上に組み上がっている「思考/論理」の理解を丁寧にすることで、相手の「いま」により接近できます。


 4月に高校時代からの友人とホントに久々に会ったのですが、それぞれの仕事の話はなんぼ話しても分かり合えないということを相互了解していたからか、考えていることを話し合いました。なかなかにおもしろかったですね。思考/論理の変化ぶりが興味深く、また会って話したいなとも思うように。


 古くから続いている関係を新たにしながら大切にし続ける、その知恵をもっと身につけたいなぁと思う最近です。