「なんで先生になりたいん?」という問い

 教員志望学生や若手教員の方(で特に男性の方)に、「なんで先生になりたいん(なったん)?」と聞いて、「部活の指導したいんすよ」と返ってくることが意外と多く、驚くことがあります。自分も小中高いずれも部活での思い出も多く、貴重な成長機会の一つにもなりましたし、部活指導を大切にしたいという気持ちは分からない訳ではありません。ですが、部活指導といえば、学校教育の枠組みで言えば、特別活動の中でも、カリキュラム(正課)の外に位置し、しかも(多くの学校では)任意性のものですから、非常に荒っぽく言ってしまえば、「オプション」的なものとも言えなくもありません(やや適切さを欠く表現かもしれませんが)。ですから、部活指導が一番に出てくると、「うん?」と引っかからざるを得ません。


 しかし、だからといって、「それはアカンやろ」と斬りすてるのは拙速です。なので、問いを続けてみるようにします。「部活指導を通じて、生徒が部活に取り組むことを通じて、どんな成長をして欲しいという願いがあるの?」と。単純に部活動で取り組むスポーツの特定種目や芸事の指導をしたいというだけであるのであれば、教師ではなく、地域のスポーツ教室のインストラクターやコーチになるなり、カルチャーセンターの講師になるべきです。そこで「教師」になろうというのであれば、部活という「手段」を通じて、どのような教育を行いたいのかを問うべきであろうと思っての問いです。この問いに驚き、戸惑い、悩まれる方も意外と多くいて、それにも驚かされるのですが、よくよく様子を見ていると、多くの場合、それは「うまく整理がつかない」という感じであって、願いが空洞化しているわけではなさそうであることが分かります。


 そこで、自分は自らの一意見として、次のような話を行っています。部活指導をしたい、という思いで、先生を目指そうと思うこと事体がアカンというわけではない。きっとそこには、部活動を通じて、顧問の先生から影響を受けることがあったり、自分がいい学び・育ちを得たり、またかけがいのない仲間との共同体験をしたからという、原体験があるからでしょう。つまり、そこに「教育」があったからに他ならないわけです。であれば、そのことをまずはしっかりと明確にする必要があるでしょう。なぜならば、自らが目指す教育を考えていく上で大きな参照点の一つになるからです。ただ、そこで終わってはいけないと考えています。


 この明確化の結果として析出された、こういう成長機会を提供したいという願い、自分が目指す教育、というものが、部活指導だけではなく、教科教育や総合的な学習の時間、道徳教育、クラス運営・HR活動、進路指導…といった、学校において展開される様々な教育活動でどのように実現できるのかを考えるべきです。そうでなければ、部活の時だけ自分が目指す教育を実現できていて他はそうではない、ということで、部活以外での教育活動で「手抜き」が起こりやすくなります。すると、各種教育活動で、信念が感じられないパターン化されたものや時勢にふりまわされたものが生徒に提供されることになりかねません。


 様々な教育活動の中で、ひとりの人間から発される「成長への願い」がバラバラではなく一貫したものであることで、生徒からの信頼も得やすくなり、自分の志の実現も前進するのではないでしょうか。


 教員になる上でもつ「こだわり」が、「部活」という手段ではなく、「どのような成長機会を提供したいのか」という目的におかれなければ、「なんで先生になりたいん?」という問いへの答えとしては、あまりにも不十分だと言わざるを得ません。そして、教員になろうとされる方は、自らが教員になる目的として掲げる「実現したい成長への願い」を根っこからしっかりと支える思想・哲学を学び、信念を鍛えるべきでしょう。


 教員採用試験への動きが本格化する中、志望理由等について、ここ数日話をする機会が多く、そのようなことを考えていました。