「快適さ」の批判的検討の必要性

 仕事の忙しさにかまけて、研究活動が手つかずになってしまっていますが、「安全・安心のまちづくり」の推進と監視社会/社会的排除の進展の結びつきについて、院生の頃から関心を寄せ続けています。



 最近、その研究関心の中で「快適さ」や「住み心地のよさ」という概念について批判的検討を重ねる必要性を感じています。



 「快適さ」が論じられている時、誰にとっての快適さが重んじられるのか、誰が設計/追求する快適さが具現化されているのか、実現された何らかの快適さの中で「安楽の全体主義」に陥る危険性はないのか、といった問いを立ち上げるべきでしょう。



 既に「ワンルーム規制」といった由々しき事態が起こっています。そこでは、単身独身者の快適さがまったくもって無視されています。個別最適ではない全体最適を実現しつつ、しかし、排除的でもない最適設計、この実現は容易ならざるものです。



 不断に「快適さ」そのものについて問い返される公共圏の存在が担保になるのだ、と理念的に言うことはできなくもありませんが、しかし、どこまで実際的かと言えば疑問が残ります。



 カルチュラル・スタディーズフランクフルト学派の理論に胚胎している「批判性」を手がかりに、「現場」を見据えた、安全/安心のまちづくりへの批判的研究を展開していきたいものです。



 とはいえ、研究のための時間/空間がなかなか確保できないですねぇ。。