あなたの「希望の木」は?

 私が小学校や中学校、高校、大学の頃には、「教師になりたい!」という「夢」や「希望」をもっていた。そして、その「夢」や「希望」が私を突き動かす原動力となって、様々な活動をすることとなった。



 ブレーンヒューマニティーで、キャンプリーダーの活動を始めたのもそう。小学校のときから、教育に関する興味深い新聞記事を全部切り抜いたり、NHKの特集番組を録画したりしたのもそう。関西学院高等部に入学してから、「関西学院」という一つの私学の学校史を読み込み、教育理念とその具現化について思索のときをもっていたのもそう。ワークショップというスタイルに衝撃を受け、ファシリテーションを身につけ出したのもそう。その努力が今、教師とは異なるかたちで実っているわけで、「夢」を一直線で実現したものではないが、努力の原点は「夢」や「希望」にあった。



 しかし、最近、教えている大学で学生と接していて、そうした「夢」や「希望」が明確に語られることは珍しい。では、学生は遊興にふけって、何もしていないのか、と言えば、全くそうではない。寧ろ、自分の学生時代よりも、キャリア形成に関する知識も多く、関心も高い。また、インターンシップにも積極的で、5社もインターンシップに行っていても、珍しくないという頑張りぶりだ。



 彼ら/彼女らを突き動かしているものは、では一体何なのか? 彼ら/彼女らの自覚はともかく、「不安」だと言えるのではないかと見ている。どうすればいいのか分からない、決めきれないから先も見えない、自分が社会でどれだけ通用するのか分からない、社会の展望も見えない…、様々な不安が「みんなやってるからやる」とか「とりあえずなんでもやる」という傾向を引き出している。よく言えば素直、だがしかし、その素直さで「不安」を消え去ることが可能かと言えば、殆どの場合、そうではない。



 なので、一定の時期がきたら(就職活動の時期)、とりあえず、(色々と理由を後づけしつつ)「なりたい職業」を早く決めて、不安に蓋をしようとする。「なりたい職業」を語っていても、私が「その職業で何を成し遂げたいのか?」と問うた時に答えられない学生が多く、「無理してなりたい職業を自分に言い聞かせている」と私は感じてしまう。



 様々な世代の、そして多くの大人と語らい、じっくりと自分と向き合う時間こそ、彼ら/彼女らには必要ではないか。インターンシップは職業体験だと理解している人が多いようだが、私は「大人と『働く』こと、『生きる』ことについて語る機会」と捉えたい。彼ら/彼女らが「不安」を抱いているのは、決して職業理解の浅さが原因であるいようには思えないのだ。



 私が小学校5年生・6年生の時の担任は、故・寺村先生。寺村先生が出されていた学級通信のタイトルは『希望の木』。希望の木の根を鍛え、枝をどう伸ばし、大きくなっていくのか。この問いを若くして、寺村先生からいただいた。天国におられる先生に、改めて深く感謝したい。