話し合い/助け合い

 朝日新聞で現在連載されている「ルポ・学校」を大学の授業などで、よく紹介しています。丁寧で真摯な取材の結果であろうことが伝わってくる記事で、短いのに毎回読み応え十分のものです。



 いまは、スクール・ソーシャル・ワーカーの取組が紹介されていますが、学生さんからすれば、なかなかなじみがない職業でしょう。だからこそ「こんな役割の人もいはるんやな」と視野を広げて欲しいなぁと思っています。実際の先生になって、ひとたび学校世界に閉じこもってしまうと、どのようなリソースが地域にあるのか、見えにくくなってしまいがちですから。



 さて、そんな一連の連載を呼んでいていて見えたことは「話し合いはしてるけど、助け合っていない」という状態です。



 職員会議をはじめとする「話し合い」の場は決して少なくないのに、肝心要のことを分かち合っていなかったり、たとえ分かち合っていても、「助け合い」行動が相互に起きることは珍しかったり…、そのような様相が垣間見えます。



 これは学校だけのことではありません。NPO/NGOでも組織課題のたな卸しをしていくと「コミュニケーション不足」を挙げる方は非常に多いのですが、よくよく伺うと、話し合いの量的な問題ではないケースが少なからずあります。



 「何についてのコミュニケーションが不足しているのか?(その不足はなぜ補う必要がある?)」「充足した後に各々がとることを期待している行動は?そのためには、どのようなコミュニケーションが不足しているのか?」「話し合っているのに、助け合いが起きていない理由は?」と問いを重ねていくと、そのことが明らかになります。



 コミュニケーションの問題が組織の問題の多くにつながることは間違いありません。しかし、多くの組織の問題の最大要因がコミュニケーションの問題に帰結するとは限りません。「分かった気」になってしまう「話し合い不足」という言葉。そこで分かった気にならずに、問題と向き合い、本当に必要な「助け合い」を創り出すことを心がけたいものですね。



 「助け合い」の文化をつくるための仕組みづくり。そんなことにふと思いを馳せつつ。