直感は信用できるか

 さすがに連日のワークショップ行脚(と少ない睡眠)はカラダにこたえたのか、10日の夜にはガタガタ震えだし、「うわっ、これはあかん…」とバファリンを飲んで即寝。早めの対策が功を奏して、14時間睡眠後には、ほぼ完治しました、ふぅ〜。この時期に病気はトンでもないことなので、いやはや危なかったです。



 夜にはそんな病気モードになってしまった10日の日中はまだ元気な状態で、三田市社会福祉協議会で地域団体の役員の方々が集う「地域福祉活動者リーダー研修会」でした。過去に「会議」と「リーダーシップ」のテーマで2回担当しており、今回で3回目(今回の研修内容はシチズンシップ共育企画のウェブサイトをご覧ください)。



 さすがに3回目にもなると、ポストイットと模造紙を使った話し合いにも慣れてきていただき、ある参加者は「マイポストイット」持参の方も!継続して関わると、こういう変化に触れられて面白いですね。僕の方にも参加者が感じる変化が起こっていればと願うばかりです、はい。



 で、本日13日は、現在これまた継続的に人材育成部分で関わっている総合幼児教育研究会の公開保育が大阪で行われるということで、一日参加しました。幼児期の育ち/学びの特性って、こう考えると分かりやすいのか、と妙に納得(詳細は長くなるので今日は割愛)。実は何度か聞いていた話で、保育見学も何回かしていたので、別に初めて聞いたわけではないのですが、反復の中ですっと理解できました。



 一回見聞きしただけで、「よぉわからへんなぁ」といって、関心から除外してしまうのではなく、いったん棚上げしておくと、何度かその「わかりきらへんなぁ」というものとつきあっている内に、ふっと分かる瞬間に出会えるのでしょうね。今の僕が棚上げしている者は、「自分の死生観」だったり「自分と宗教的なものの関係」だったりします。さて、いつ腑に落ちてくれるのやら。



 ちなみに、今日のブログのタイトルは、最近読んだ雑誌論文で、(当たり前なんだけど)印象に残った以下のフレーズをうけてつけました。



 人口に膾炙していることに、「リラックスすればいいアイデアは浮かんでくる。そう、自分の直感に従いなさい」というのがある。

 日常的な状況、あるいはよくある状況では、直感はたしかに重要である。ただし、これは反復作業の賜物なのだ。言い換えれば、判断力あるいは直感を磨くには、相当の量の練習と反省と分析が必要なのである。
(K.アンダース・エリクソン/マイケル J. プリーチュラ/エドワード T.コークリー「一流人材のつくり方」、『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』(2008年3月号)、p.46)



 信用性の高い直感も、継続的な反復あってこそ、というわけで、経験/機会をもっと大切にせねばと思うと同時に、若者が直感を磨けるような経験/機会をちゃんとつくらないとなぁと思わされました。



 政治的な判断とかね、特に。